エンターテインメント

小川洋子『ひよこホテル』の男

星野概念「登場人物を精神医学で診る 本の診断室」

No. 884(2018.12.15発行)
危険な読書

主治医:星野概念

名前:小川洋子『ひよこホテル』の男

症状:「しかし男はこうした思いのあれこれを、少女に向かって言葉にはしなかった。返事がもらえないからではなく、お互い喋らないでいる方が平等だ、という気がしたからだ。

備考:表題の『海』や『ひよこホテル』など、少し歪だが静謐で温かな物語たち7編をまとめた短編集。収録作品に関する著者インタビューも収録。新潮文庫/430円。

診断結果:言葉なきところにも、心を解きほぐす対話がある。

男は町に1つだけのホテルのドアマンで定年間近です。同僚たちはずっと若く、会話はシフト交代のことくらい。雑談などはしません。男の新しい下宿先は、70歳の未亡人と孫の少女が暮らす一軒家の2階。ある時少女が、庭に飛ばされた男の洗濯物のブリーフを届けに来たので男は挨拶をしますが、少女は何も答えません。少女は1年前に母を亡くしてから口が利けないのでした。庭先に3人でいた時のこと。

縁日で売られる色とりどりのひよこで荷台が敷き詰められたトラックが通り過ぎ、それを見た男と少女の視線が合います。そして2人は身ぶりも言葉も使わず、「ひよこよね」「ああ、そうだ」とわかり合います。数日後、少女は男のところに、セミやヤゴ、シマヘビまで抜け殻を持ってきます。男はそれを窓辺に飾り、2人で眺めます。この2人のやりとりは一見、抜け殻を渡されて一緒に眺めるだけですが、抜け殻のことを思い、感覚を共有することで目に見えないわかり合いをしているようにも思えます。

言葉や身ぶりを使わずとも、相手を感じ、互いをわかろうとする「対話」の形は、当人たちを孤独から少しだけ救います。結果、物語最後の心震える変化がもたらされたのではないでしょうか。通常言葉で行われる「対話」ですが、大切なことは相手に向かって言葉を発するという行為そのものではないのだと改めて感じました。

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ほしの・がいねん

精神科医。音楽活動もさまざまに行う。いとうせいこうとの共著『ラブという薬』が発売中。

編集/
大池明日香

本記事は雑誌BRUTUS884号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は884号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.884
危険な読書(2018.12.15発行)

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