建築・インテリア

ブラジル・モダンの金字塔、リナ・ボ・バルディのガラスの家。

Brazilian Mid-Century

No. 883(2018.12.01発行)
Mid-Century in Our Life
The Glass House 設計:リナ・ボ・バルディ。

生い茂るジャングルの中に聳える、ブラジル・ミッドセンチュリーの至宝。竣工から67年、いまだに「新しい」と感じさせるこの住宅の秘密とは? 知れば知るほど奥深い、リナ建築の世界へようこそ。

近くで見ると予想以上に大きいボリュームには、ここで暮らした建築家の大胆な姿勢が感じられる。ピロティに潜り階段を上ると、内部には豊潤な世界が広がっている。ここは、建築家リナ・ボ・バルディが1951年に設計した〈ガラスの家〉だ。

リナが設計した住宅で現存するのはたった2軒。リナは「一般の人々のために仕事がしたい」と、次第に公共建築のみを手がけるようになったためだ。そのうちの一軒が、第1作で自邸の本作である。

 何といっても、最大の特徴は美しいリビングルームだろう。3面の大きなガラスから、生い茂った植物の姿が目に飛び込んでくる。「住宅を自然の中に晒す」ことが設計のテーマで、植物との距離はちょっと怖いくらい近く、森の中に浮いているようだ。夫ピエトロは〈サンパウロ美術館〉の館長になるべくブラジルに移ったため、リビングはアーティストらを招くための応接間でもあった。美術への造詣が深いキュレーター夫妻らしく、中世の絵画、イームズ・ラウンジチェアをはじめとしたモダン家具、ブラジルの民芸品と、国も時代も横断して、様々な品がヒエラルキーなく置かれている。

印象的なリビングルームとは対照的に背部にあるプライベートゾーンは地面と接続し、落ち着いた雰囲気が漂う。小さなパティオを中央に配置するという一手でこの差を滑らかに繋げてしまうところに、リナの恐るべきセンスが光る。

そもそも、イタリアからブラジルに移住し、サンパウロに住むことを決めた夫妻にとって、まず必要なのは拠点となる家だった。そこで、農園から新興住宅地へと開発中だったモルンビ地区を勧められ、地区で最初の「モデル住宅」として完成したのがこの家だ。移住して間もない時期に設計されたため、西欧のモダニズムと南米の土着的な魅力が美しいバランスで混ざり合っている。直線からなるシンプルなデザイン、ピロティ、白壁とガラスのファサードイタリア的だが、生い茂る植物や田舎風の寝室、タイルなどの工芸的要素がブラジルの風を入れている。

20世紀半ばからのブラジルの文化は、ヨーロッパからの移民たちが持ち込んだ自国の文化と、ブラジル伝統の文化との融合で作り上げられていった。その点、イタリア移民のリナがモダニズムをベースとしながらブラジルの要素を加えて設計した「ガラスの家」はまさにブラジル・ミッドセンチュリーを象徴する建築といえるだろう。

2階のリビングルーム。床は水色のハンドメイドのガラスタイルで覆われている。テーブルを囲むアイボリーのソファ、窓際左の木と革の椅子もリナのデザインだ。

リビングルームには、リナがデザインした椅子、夫妻の美術品やブラジルの民芸品コレクションがわんさか。周囲の緑とともに、シンプルな空間に活気を生んでいる。

独自の道を進んだ 冒険心溢れるミューズ。

ブラジルにおいて、リナはどのような存在なのだろう? 第二次世界大戦後、多くの人々が新天地を求めて西欧からブラジルに移住した。リナもその一人だ。当時のブラジルでは、すでにルシオ・コスタやオスカー・ニーマイヤーが独自のモダニズム建築を設計しており、移民たちはその自由さに惹きつけられた。

当時のブラジル建築界はニーマイヤーらの「カリオカ派」、プリツカー賞に輝いたパウロ・メンデス・ダ・ローシャも所属した「パウリスタ派」の2派がしのぎを削っていたが、リナはどちらにも与しなかった。たった一人で独自の道を進んだのだ。当初こそ実力者だった夫ピエトロと共同の仕事が主だったが、1958年、ブラジル北東の旧都サルヴァドールへと一人移ったことをきっかけに、自立した仕事を獲得していく。民衆のエネルギーが渦巻くこの地で、民芸品の美しさに目覚め、新たな人間関係を作り、デザインにも変化が起きていった。この頃から、彼女の作品はより粗く生命力溢れる雰囲気をまとい始める。

リナを支えたのは、夫のピエトロをはじめ、建築家や劇作家の友人、そして彼女の考えに共感して設計を依頼したブラジルの「普通」の人々である。リナは〈サンパウロ美術館〉、〈SESCポンペイア文化センター〉(1986年)といった大型の公共建築のみならず、小さな劇場や教会も手がけている。実現した作品の多くは、コンペではなく直接の依頼がきっかけだった。リナは彼らに応えるように、デザインはあくまでシンプルに、人々の自由な活動が主役となる建築を設計し続けた。

リナは時に「ブラジル文化のミューズ」とも表現される。建築だけでなく、雑誌編集、キュレーション、舞台設計にも活動の幅を広げたが、実は、ブラジルに到着して最初に始めたのが家具デザインだった。イタリア時代からジオ・ポンティ主宰の雑誌『ドムス』などで、家具に関する記事やイラストを担当。伝統技術と大量生産との兼ね合いなど、いくつかの問題意識がこの時点で生まれている。

ブラジルにおけるリナの重要な貢献の一つは、同じイタリア人建築家ジャンカルロ・パランティと共にスタジオを立ち上げ、当国初となるブラジル産木材を利用したモダン家具の生産を始めたこと。この先駆的なスタジオは数年で閉じてしまったが、工場は別の家具デザイナー、カルロ・ハウナーの手に渡り、ブラジル・モダンに貢献し続けた。さらに1951年には〈サンパウロ美術館〉に併設する形で、バウハウスをモデルとしたブラジル初のインダスリアル・デザイン学校IACを設立。ブラジルのデザイン文化の礎を築いた。こちらも短命ではあったが、後継する他の教育機関により、デザインの高等教育が確立された。

デザイナーとしてのリナの家具は、建築と同じくシンプルがキモ。初期は金属や革など、複数の素材を品良く組み合わせたイタリア・モダンの味わいが強い。一方で、驚くほど素朴なものを作ってしまうのも彼女の魅力。6年間のサルヴァドール滞在以降は木材のみを使った、より単純で合理的な木組みのデザインへと変化している。

リナは自らの建築では家具も一緒に手がけており、その在り方からは「建築とは体験」という考えが見てとれる。ラウンジにはゆったりとしたソファを。劇場には、観客が立ち上がって演劇に入り込めるよう、あえて硬い木の椅子を。磨き続けた多彩なデザインの語彙は、空間ごとに多種多様な椅子を生み出し、ブラジル・モダンの力強さと洗練を今に伝えている。

シンプルかつワイルド、リナデザインの名作椅子。

The Glass House / 1951年竣工。設計:リナ・ボ・バルディ。サンパウロ郊外、丘の中の住宅地に立つ、リナの第1作であり自邸。竣工と同時にブラジルに帰化し、生涯この家で暮らした。ピロティで浮かせた2階がメインフロア。バルディ夫妻亡き後は財団が当時の姿を守っている。

Lina Bo Bardi (リナ・ボ・バルディ/1914−1992年)

イタリア・ローマに生まれ、ローマ大学建築学科に入学。卒業後はミラノに移り、建築家ジオ・ポンティのもと雑誌編集・執筆・イラストなどを手がける。1946年美術評論家のP・M・バルディと結婚、共にブラジルに移住。生涯建築家として活動した。また、建築家としてだけでなく、家具デザイン、キュレーション、舞台デザインなど多彩に活動。代表作に〈サンパウロ美術館〉(1968年)。

photo /
Markus Lanz, Nelson Kon
text/
Yuiko Sugiyama
edit/
Tami Okano

本記事は雑誌BRUTUS883号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は883号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.883
Mid-Century in Our Life(2018.12.01発行)

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