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フリードキン、再び。 映画より面白い自伝。

滝本誠のCAFÉ NOIR

No. 881(2018.11.01発行)
札幌の正解
The Friedkin Connection

1970年代、ウィリアム・フリードキンの名前はハリウッド再興のトップ・ランナーとして、だれよりもビッグ・ネームだった。なにしろ、『フレンチ・コネクション』('71)、『エクソシスト』('73)の2作が巻き起こした騒動は社会現象にまで上りつめたのだ。特に『エクソシスト』の不穏の気配はピリピリとした震えとして日本へも波及してきた。このとき、愚生は平凡出版に入社1年目で、宣伝部での最初の仕事は『平凡パンチ』の試写会呼び込み文作成、それにニッポン放送の『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』立ち合いであった。あと、FM東京の『アンアン・サエラ』の女の子文体での紹介コピー担当&立ち合い。ともかく、宣伝部のそうした担当もあって、映画会社宣伝部と緊密な関係もできたのである。

『エクソシスト』はなによりも悪魔憑き少女という、いってみれば1960年代のヒッピーイズムがもたらした保守的モラルの崩壊、つまりは親の不安を集約するものだった。突然に自分の娘が手の届かないなにかに変容するという恐怖だ。娘の側からすれば、エクソシズムなど余計なお世話なのである。体内に悪魔を取り込むことの快感。

現在わが国で、フリードキンの名前が再び取りざたされるようになったのは、1970年代の彼のもうひとつの話題作である『恐怖の報酬』('77)が、短縮版ではなくフリードキン監修のオリジナル4Kリマスター版で11月24日に公開されることになったからだ。

しかし、ある意味、映画よりも面白いのが、フリードキンの人物像であり、メイキングのプロセスだ。それを自ら記したのが、5年前に出て、いまだに邦訳されない自伝『The Friedkin Connection』なのである。シカゴの厳格なユダヤ教徒の息子に生まれ、厳しい戒律の下で育った少年がいかにして道を踏み外しw映画監督となったかがつづられていくが、時代もあって、時として彼のコネクションが裏社会の人物だったり、道を踏み外しすぎなのである。あきらかに犯罪といえる行為ももはや時効なのかさらりと書いている。特に『LA大捜査線 狼たちの街』で作った贋金を実際に街で

たきもと・まこと/東京藝術大学卒業後、編集者に。近著に『映画の乳首、絵画の腓 AC 2017』(幻戯書房)。

本記事は雑誌BRUTUS881号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は881号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.881
札幌の正解(2018.11.01発行)

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