【冷えた弁当の後は、ギャコックで】鍋にあふれる無限のチベット。

松尾スズキ「ニホン世界一周メシ」

No. 881(2018.11.01発行)
札幌の正解
撮影もようやく終わりチベットのお酒「チャン」に酔いしれる。

立ち向かえども難攻不落な鍋界のチョモランマ、ギャコック。

先日4本目の長編映画を撮り終えた。私は出自が演劇なので、映画と演劇の違いについてよく聞かれる。もちろん表現の違いは数限りなくあるが、映画と演劇には、飯の食い方が違うというのが大いにある。演劇は、だいたい昼過ぎに始まり、夜帰れる。なので朝昼晩、おのおの勝手に飯を食う。しかし、映画は、朝早いし、そうそう夜は帰れない。なので、皆で3食弁当を食う。これがきつい。しかも低予算の現場である。おかずの乏しい冷えた弁当を何日も続けて食うというのは、非常に精神衛生上よくない。多分、囚人の方がいい飯を食ってると、ふと思う。「ただ映画を撮ってるだけなのに、俺は今、なんの刑に処されているのだ?」そう考えると心がキュウウンと、雨に濡れた仔犬のように鳴くのである。晩飯を食うときは、晩酌する習慣のある私としては、夜、ビールも飲めぬまま、冷えたシュウマイに刺した割りばしがバキッと折れたときなど、「ここなんだよ、ここが芝居と映画の一番の違いなんだよ!」と切実に思うのである。もちろん、スタッフ全員で冷えた弁当を食うからこその結束感というものもあるのだが。

そんなときに世界一周メシとなれば、当然、あったかいものを所望するし、あったかいものといえば鍋なのであるが、そうそう世界に鍋はない、と、思うでしょ? しかし、実は、この連載の決起集会を社長とママと私の3人で行った店に極上の鍋があったのである。

意外なことにそれはチベット料理なのである。四谷の裏路地と言っていいような人通りの少ない路地に『タシデレ』はある。タシデレ。「こんにちは」とか、「幸福」とかいう意味なのだそうだ。「こんにちは」と「幸福」が合体した言葉・・・、「タリラリラーンのコニャニャチワ」のようなニュアンスなのだろうと勝手に思う。お店も、原色を使ったカラフルな旗がはためきまくり、寂しげな路地の中、ひときわ幸福感がダダ漏れしているのである。

前回は具材が豊潤にすぎるような鍋の印象しかなかったので、この店のスペシャルディナーセットというものを頼んでみることに。ラプシャという大根と鶏肉のスープに弁当で冷えた身体がいきなり癒やされる。山椒かな? 適度な辛味が食欲をそそるのである。次に登場したシャプタはラム肉の炒め物。お味でいうと、ラムの生姜焼きだ。薄切りの子羊肉は実に柔らかくてうまい。モモは、ネパール料理と思われることもあるが、チベットでポピュラーに食べられる牛肉の蒸し餃子で、食感は小籠包に近く肉汁が美味。後は、ラムギュマというラム肉と米の腸詰めと、ティンモという存在感の激しめの蒸しパン。デザートはチュラパレ、チーズ入りの揚げ餃子だ。肉だけでもラム、鶏、牛の三種が食える。チベット仏教は肉食が禁忌ではないのだ(社長いわく逆に魚はあんまりダメなんだそうだが)。野菜少なめだが、唐辛子と塩と玉ねぎで作った辛味調味料をふんだんにつけて、チベットのマッコリで控えめな甘みが非常に飲みやすいデ・チャンで流し込めば、十分満足なディナーだろう。

と満足したところで、恐ろしいことに二日前に予約したギャコックというそうとうドッシリした鍋が来るのだが、めったに食べないチベット料理(都内にここ一軒だけなのだ)、欲張って、トゥクパ・タンモという冷麺まで頼んでしまった。ウイグル料理のときも思ったが、食ったことのないよその国の麺というものは、是が非でも食べたい。白いたまご麺に、鶏肉とピーマンなどをトマトベースで炒めたソースをかけたもので、アジア人がおぼろげな印象だけで作ったあげく独特な料理になったボロネーゼといった趣。そういった異郷感が楽しめる。楽しめない麺は麺じゃない。小麦団子にでもなっていろ。そう私は思う。チベットは高地であり、米がとれないそうで、いきおい、主食は蒸しパンや麺、モモ、などになっていくのだそうだ。チベット人は日本人に似ていることで有名である。ダライ・ラマだって、赤羽の飲み屋などでよく見かけがちな顔だ。チベットから日本に亡命したこの店の店主、黒木露讃さんも実に日本人に似ている(奥さんは日本人)。そのチベット人がアジアではポピュラーな主食、米を食べないというのは意外であった。

そしてついに、久しぶりのギャコックである。ドカンと、宝物でも入っているようなゴージャスな鍋の中には、食わせ殺す気か、というほど豊富な具材がぎっしりだ。ラム肉、揚げ豚、鶏団子、厚揚げ、それらが、スープなぞ見せぬという気概でもって鍋の表面を覆いつくす。その下には、野菜不足を挽回するように、小松菜、キャベツ、ニンジン、セロリなど、これまたビッシリ野菜が詰め込まれている。二日煮込んだ鳥出汁に八角の入ったスープだ。うまくないわけがない。

大食漢のいっさいいない我々世界一周メシ隊は、青ざめながらギャコックに立ち向かった。食った。私は大汗をかきながら食いに食った。冷や飯しか食えなかった過酷な日々に復讐するように。なんとなく、最初と主旨が違う? と、うっすら思いながら。

タシデレ

オーナーの黒木露讃さんは亡命2世の僧侶。生まれはネパールで育ちはインド。インドのチベット仏教寺院で僧侶となり、2003年に布教活動のため来日した。その後仏教美術の仕事をしていた妻・奈津子さんと出会い結婚、チベットの文化を広め、チベットに興味を持つ人々の交流の場になるようにと、15年タシデレをオープンした。現在は映画の上映会、語学やチベット医学の講座などチベットを伝えるイベントも多数主催している。

ギャコック

鶏ベースの濃いスープで、ラム肉、揚げた豚肉、自家製鶏団子、さらにたっぷりの野菜や春雨、厚揚げをじっくり煮込んだ貴重な宮廷料理。2日前までに要予約、6,000円(3〜5人前)。

タシデレ・スペシャル・ディナーセット

モモ(蒸し餃子)やシャプタ・ラム(仔羊肉の薄切り炒め)など代表的なチベット料理6品を一度に楽しめるお得なセット。特製の辛味調味料(右)が味を引き立てる。2,700円。

チャン3種

チベット版どぶろくはオリジナルブレンド。米ベースのデ・チャン(右)、乳清ベースのチュルク・チャン(左)はグラス各700円。ヨーグルトベースのショ・チャン(中)はグラス600円。

シャ・カンポ

手作りの干したラム肉。噛めば噛むほど野性的な肉の旨さが口の中に広がる。酒の肴にぴったり。500円。

トゥクパ・タンモ

冷たい自家製の手打ち平飼い卵麺を、鶏肉とピーマンをトマトベースで炒めてこれも冷やした特製のソースをかけていただくスパイシーなチベット風冷麺。ベジ対応可。1,200円。

ラプシャ

右のディナーセットに含まれる大根と鶏肉のスープ。じっくり煮込まれた鶏の旨味が心身ともに沁みる。滋味あふれる飽きのこない味わいは毎日食べたいくらい。単品900円。

SUZUKI MATSUO

1962年福岡県生まれ。作家、演出家、俳優。芥川賞候補作『もう「はい」としか言えない』、最新刊『出会って別れて、なぜ悪い?』など著書多数。年末には自身と大人計画の30周年イベントを渋谷スパイラルで開催http://otonakeikaku.jp/stage/2018/30/index.html

タシデレ/東京都新宿区
関東唯一のチベット料理専門店。ハーブティーなどチベット関連グッズの販売も。
東京都新宿区四谷坂町12−18 四谷坂町永谷マンション1F☎03・6457・7255。11時~15時、17時〜22時(土・日・祝11時〜22時)、水曜休(祝日の場合は営業、翌日休)。

photo/
Shinichi Yokoyama
text/
アーバンのママ

本記事は雑誌BRUTUS881号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は881号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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札幌の正解(2018.11.01発行)

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