人生仕事

2・26事件の夜に、僕は仕込まれたんですよね(笑)。|里見浩太朗

TOKYO80s

No. 877(2018.09.01発行)
わかる?楽しい!カッコいい!!「刀剣」
PHOTO / SHINGO WAKAGI

里見浩太朗(第一回/全四回)

生まれは東京です。新聞や雑誌には富士宮市と書かれますが、渋谷の道玄坂の病院で生まれたらしく。よちよち歩きのときに、パレスホテル近くのお堀で水鳥を見た記憶があります。親父は近衛連隊の憲兵で早くに戦死しましたが、昭和11(1936)年の2・26事件の時、若手将校に不穏な動きがあると憲兵は察していて、2ヵ月ほど親父は帰ってこなかった。たまたま25日が休みで、久しぶりに帰ってきたんです。それで夫婦の営みが2ヵ月ぶりにあった。その朝、非常召集があって、親父は軍服を着て走って行きました。その十月十日後に僕が生まれる(笑)。2・26事件の夜に僕は仕込まれたんですね。幼少時代に富士宮に移って、二軒長屋の隣に、えいこちゃんという同級生の女の子が住んでいました。幼稚園に手を繋いで行ったり、ままごとや川遊びをしました。富士宮に空襲はなかったけれど、小学校2、3年の時には戦闘機が飛んできました。富士川の川裾の玉之浦に飛行場があって、練習をしていたんです。お袋になぜこんなに低く飛行機が飛ぶのかを聞くと、あの人たちは特攻隊になるから故郷にお別れを伝えに来るんだよと。終戦の日は覚えています。いよいよ富士宮も空襲に遭うかと、おばあちゃんの家に疎開していて。山の上の松野村という小さな村です。夏休みで遊んでいたら、おじいちゃんが「ラジオの前に集まれ 天皇陛下のお言葉がある」と。玉音放送ですね。お袋もおじさんも泣いてました。僕たちには訳がわからなかったですけどね。あの涙の理由を考えると、親父が戦死して、戦争に負けた悔しさ、新聞で見る日本の惨状、特攻隊の話、いろんなことに対する悔しさと虚しさだったんでしょうね。富士宮から松野村の小学校に移った時は、ランドセルを背負って、シャツにハーフパンツ、白い靴下、革靴という格好で行ったら、ゲラゲラ笑われて。みんなTシャツは着ているけどズボンなんか穿いているんだか、いないんだか。着物の子もいましたね。ランドセルなんて誰も持っていない。みんな藁草履だったので、おばあちゃんに作ってもらって、次の日から風呂敷に教科書を包んで、40分ほどの山道をわらじ履きで学校へ。雪が降っても藁草履。行き帰りはシイの実をとったり、ミカン畑でミカンをとって怒られたりね。栗をとったり魚釣りに行ったり。子供の遊びの楽しさを満喫しましたね。( 続く

里見浩太朗
さとみ・こうたろう/1936年生まれ。俳優。『水戸黄門』など、多数の時代劇に出演。

第1回第2回第3回第4回

photo/
SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA
edit/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS877号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は877号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.877
わかる?楽しい!カッコいい!!「刀剣」(2018.09.01発行)

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