エンターテインメント

小野正嗣『九年前の祈り』の安藤さなえ

星野概念「登場人物を精神医学で診る 本の診断室」

No. 876(2018.08.16発行)
GOOD GROOMING GUIDE

主治医:星野概念

名前:小野正嗣『九年前の祈り』の安藤さなえ

病状:そのミミズは本物のミミズとちがって幼子のなかにあった感情や知性の土壌を豊かにしてはくれなかった。まったく逆だった。だからミミズが出てくるのを見ると恨みはつのった。

備考:引きちぎられたミミズのように大騒ぎする子を持て余すシングルマザーのさなえ。その胸にかつての言葉が蘇る。芥川賞受賞作。ほか3編を収録。講談社文庫/620円。

診断結果:生きづらさに寄り添う人たち。

 過疎地出身のさなえは35歳。東京カナダ人との間に息子・希敏をもうけましたが相手とは別れ、7年ぶりに実家に戻りました。さなえは、9年前に地元のおばちゃんたちと行ったカナダ旅行でも一緒だったみっちゃん姉の息子が入院したと聞き、厄除けの貝殻をとりに、島へ希敏と向かいます。道中何度も9年前のカナダ旅行を回想します。また希敏は、しばしば発作的に泣き、手がつけられないほど激しく、引きちぎられたミミズのように体を動かすことがありました。読んでいて僕は、希敏が変化を嫌ったり、興味が極端に限局され社会性が持てないことから「自閉スペクトラム症」など何かしらの発達障害を考えました。さなえはこのような希敏の特殊性をなかなか受容できません。そして、みっちゃん姉もカナダ旅行の際、息子が何かしらの生きづらさを抱えていて将来が不安だとさなえに話したことがありました。印象的なのはカナダ旅行の回想の最後、仲間がはぐれて教会でみっちゃん姉が一心に祈る場面。仲間の無事を願う以上の深い祈りが感じられ、これは回想するさなえの状況にも繋がります。病気などで生きづらさを抱える人の家族は、その生きづらさをわかりきれないことへの苛立ちや無力感、それを周囲から理解されにくい孤独感のために、独特な辛さに苛まれます。そのどうしようもなさにそっと共感する、柔らかい雨のような作品でした。

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ほしの・がいねん/精神科医。音楽活動もさまざまに行う。いとうせいこうとの共著『ラブという薬』が発売中。

本記事は雑誌BRUTUS876号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は876号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.876
GOOD GROOMING GUIDE(2018.08.16発行)

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