ブータンをよく訪れるという脳科学者の養老孟司さんと監督の2人が語る、ブータンの現在。
- 養老孟司
- 最初の印象としては、すごくブータンらしい映画だと思いました。ブータンというと、ヒマラヤの風景や景色、シャクナゲの花が多いというイメージなんだけど、それはあまり撮ってない。むしろ人にフォーカスをして、彼らの日常生活に寄り添っている。
- アルム・バッタライ
- ありがとうございます。とても嬉しいです。
- 養老
- ブータンのパロ空港は飛行機の進入路に小さい丘があって、着陸する飛行機はその丘を避けて進入しなきゃならない。小さい丘だから、普通の国なら丘を削るんだけど、ブータン人はお寺があるから削らない。だからパロ空港は「世界で一番危険な空港」と呼ばれていて、同時に「世界で一番美しい空港」とも。景色がいいからね。主人公の家はプライベートのお寺で、息子さんは後を継ぎたくないと言っている。若者の間で流行っているSNSのことや、妹さんの性同一性障害の問題、ブータンの古い背景の中に、いまの問題がはめ込まれているのが興味深かった。
- アルム
- ブータンが現在置かれている“移り行く時代”を描きたかったのです。それを描くために、ゲンボとタシという思春期の多感な2人の若者にフォーカスすることになりました。彼らとの出会いは大きかったですね。撮影を進めていくなかで、若い子たちの間で注目が集まる、サッカーのナショナルチームのトライアウトがあるという話を聞いて、それを撮りに行った先で出会ったのが、シャイだけれども男性のアイデンティティを強く持ったタシという女の子でした。一目で彼女に惹かれて、家に連れて行ってもらうことにしました。すると、そこにはタシを理解しようとする父親と兄のゲンボがいて、ゲンボは寺の継承問題で頭を悩ませていた。その時、この家族を描くことでブータンが直面している世代間の問題を描くことができると考えたのです。
- ドロッチャ・ズルボー
- ドキュメンタリー制作というのは自己発見でもあると思っています。アルムはブータンの近代化を子供の頃に体験した第1世代ですが、父親の考え方にも理解を示しています。撮影しながらゲンボとタシが抱えている問題を、自分の経験に照らし合わせたりしていました。
- アルム
- ゲンボとタシという2人の関係性がすごく美しかった。2人はとても仲が良く、目の前にある問題からエスケープするように寄り添っていて、その姿がなんとも言えませんでしたね。
- ドロッチャ
- ドキュメンタリー映画というと、人権問題や戦争という大それたテーマが掲げられがちですが、私たちが大事にしたいなと思ったのは日常。ある家族の親密なポートレートを描くことで、何かの価値観を押し付けるのではなく、視聴者を当事者にしたいという思いがあったので、空気感を大事にしました。
- 養老
- よく表現されていたと思います。僕は年寄りなので、どうしてもお父さんの気持ちになりましたが、家族の行く末が気になってつい観てしまう映像でした。また、こういう映画を若い人たちが撮っていて、作りながら自分の感覚が変わっていくというのは大事なこと。いまの日本の若者は自分が変わるようなことを、あまりやりたがらないから。
- ドロッチャ
- 私たちの映画作りは、彼らに何が起きるのかを予測しながら、じっと見つめ続ける。忍耐力が勝負です。
- アルム
- 「観察映画」と言ってもいいかもしれません。それにはとても時間がかかります。また、ブータンはとてもゆっくりと時間が流れています。撮影を急ぎたいと思うこともありましたが、カメラをセットしてじっと待つ、ブータン人のスピードに寄り添いました。
- photo/
- Shin-ichi Yokoyama
- text/
- Keiko Kamijo
本記事は雑誌BRUTUS876号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は876号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。