エドモン・ルドニツカのパフュームガーデンへ。
エドモン・ルドニツカのパフュームガーデンを訪ねるため、「香水の町グラース」から6㎞ほど離れた山の上の小さな村、カブリへと向かった。パリから飛行機でニースに入り、そこから車で1時間弱。カブリは「コートダジュールの展望台」と呼ばれ、昔から作家や画家など芸術家に愛される美しい村として知られている。エドモン・ルドニツカ亡き後は息子のミッシェル・ルドニツカが家を継ぎ、5人の庭師と共に庭の管理にあたっている。今年、77歳になったミッシェルにとっても庭は特別な思い出の場所であるという。
「私にとってこの庭は幼少期から最高の遊び場でした。この家のシンボルツリーともいえる背の高い杉は今も一番のお気に入りの場所です。幼い頃にはよくこの木に登って、向かいにある建物の3階で仕事をする父と母に手を振ったものです。この木の上から、両親を眺めるのがとても好きでした」
父のエドモン・ルドニツカは仕事先であったストラスブールから自転車に乗ってアルプスを越え、グラースを経由し、1944年にこのカブリに辿り着いたという。
「まだ何もなかったこの丘からコートダジュールを眺めた時に、自分がこれからすべきことを理解し、この土地に住むことを決めたと父は語っていました。そして発表する香水のロイヤルティが入るたびに少しずつカブリの土地を買い広げていったそうです。もともとは岩盤であったところを切り崩し、岩を取り除いた場所に土を運び込んで庭にしたと聞いています」
数々の名作香水を生み出したパフュームガーデン。
エドモン・ルドニツカの庭には今でも香水の原料となる草花やハーブが数多く植えられている。ミッシェルに庭を案内してもらった。広い敷地には中国式、イタリア式、フランス式、そして日本式の庭園まで造られており、中でもミッシェルのお気に入りは日本庭園だそうで、そこには石仏や灯籠のほか、橋の架かったハスの池なども造られている。道すがらセージに似た小ぶりな葉っぱを渡された。「ちょっと匂いを嗅いでごらん」。これまで嗅いだことのない、とても甘くてフルーティな香りが鼻孔を満たす。「このハーブは、カシスとブラックベリーの匂いがするでしょう? とても面白いですよね。こういう匂いを嗅ぐところから香水のインスピレーションは生まれるんです。父が《ディオリッシモ》
を作った時も、庭のスズランからインスピレーションを得たそうです。そのスズランは今でも当時とまったく同じ場所にあって、毎年、花を咲かせています」
あいにく庭の植物の多くは花の時期を少し前に過ぎており、《ディオリッシモ》を生んだというスズランを嗅ぐことは叶わなかったが、庭にはジャスミンやラベンダー、菩提樹などがまだ花を咲かせていた。ほかにもレモン、オレンジ、マンダリンなどのシトラスも植えてある。
尊敬する調香師であった、父・エドモンからの教え。
自宅兼オフィス、研究施設、セミナールームの3つの建物のうち、コートダジュールを見渡せるガラス張りの大きな窓のあるオフィスは、かつてエドモン・ルドニツカの仕事場であった。「ミニマルを好んだ父は静かで無機質な空間で仕事をするのが好きでした。ラボにはたくさんの要素がありすぎると、調香もこの部屋で行っていました。私自身も父のそばで5年ほど調香について学んでいたのですが、父は個性が強く、またとても気難しい人でしたから、途中で一緒に仕事をするのがつらくなり、私はしばらく家を離れたのです」
ミッシェルは10年ほどポリネシアを旅した後に、再びエドモンの元へと戻ることになる。
「長い旅から帰ってきた頃にはお互いに良い距離感で仕事ができるようになっていました。調香師にとっての基本的な香りの知識や調香のテクニックなどは父から教わりましたが、父がよく言っていたのは、香水は人に衝撃を与え、感情を揺さぶるものでなくてはならないということ。そして調香師にとって最も大切なのはそれぞれの持つセンスであり、それは誰も教えることができないし、学ぶことはできないということです」
家の500mほど下には、エルメスの元調香師ジャン=クロード・エレナも住んでいるという。
「彼とは幼馴染みで、子供の頃からよく一緒に遊んだものです。彼は父をとても慕っていて、調香についてもディスカッションをしていました。彼も今はフリーランスになったので、調香をしにここのラボにも訪れていますよ」
現在、ミッシェルは45人ほどのフリーランスの調香師と一緒に仕事をしている。「ロイヤルティの支払いしかないので稼ぎは少なくなっているかもしれませんが、自分が誰とどんな働き方をするかを選べるというのは大きな魅力です」
庭の上の方に行ってみようと言われ、上っていった先には小さなガラス張りの小屋があった。中にはエドモン・ルドニツカの遺骨が収められているという。「もともと、家族の墓はニースにあったのですが、父の希望でこの庭に移すことになりました。母もここに眠っています。まだ場所も残っているので僕もここに入る予定です」
生前のエドモン・ルドニツカは毎日1時間ほど、手入れをしながらの庭の散歩を欠かさなかったとミッシェルは言う。四季折々の草花の匂いをゆっくりと嗅いで回りながら、未知なる香りの創造にでも思いを巡らせていたのだろうか。
- photo/
- Manabu Matsunaga
- text/
- Masae Takanaka
本記事は雑誌BRUTUS876号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は876号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。