- 世界的な一大古書店街、神保町。
- 世界に冠たる、知的ホビーの街へ。学生と文化人の歴史を残す神保町で「男子的街歩き」。
- 中沢新一 湯島聖堂から聖橋ひじりばしを渡って、神田駿河台の鎮守、太田姫稲荷神社へ。この周辺は職場(明治大学)の近くなんで、僕にとっては勝手知ったる庭みたいな場所ですけど、そもそも神保町には学生時代からずっと通ってますね。靖国通り沿いの老舗〈一誠堂書店〉なんかは、先代の頃から随分お世話になりました。
細野晴臣 そうなんだ。僕は本屋は全然。学者とミュージシャンの違いだな。中学生の頃は淡路町の模型屋さんにはよく行ってたけど。プラモデルじゃなくて、木の模型ね。戦車や戦艦が好きだったから。
中沢 淡路町は渋かったよね。
細野 そう。当時、貸本の問屋があったんだよ。その頃、白土三平『忍者武芸帳』の単行本が家の近所で売ってなくて、わざわざ買いに行った。
中沢 それで、さらに秋葉原まで降りていくと、鉄道の線路沿いに「バッタ屋」がいっぱいあってね。
細野 あったあった、パーツ屋だ。
中沢 僕、子供の頃から科学好きで、ラジオを組み立てるのにハマってたんで。模型ファンだった従兄弟に連れていってもらいましたよ。
細野 あの頃、みんな半田ごて持ってたよね。鉱石ラジオのブームがあったし。(鈴木)茂なんかは大得意だったみたい。実家が工場だから、部品や道具が揃ってるんだ。
中沢 僕はFMが聴ける「5球スーパーラジオ」。1970年代には初期のコンピューターも自作してました。
細野 僕もプログラミングしてた、BASICで。いい時代だなあ。
中沢 ですねえ。秋葉原は電子工作。神保町は本、楽器、スポーツ。男子に人気のホビーの街ですね。今回は少女的街歩きじゃなくて(笑)。
細野 あと神保町では喫茶店。もうずいぶんなくなっちゃったけど。この10年くらいは〈ミロンガ・ヌオーバ〉ばかりだな。蕎麦屋にもよく行くよ。〈神田まつや〉がいいね。
中沢 実は神保町は中華料理屋も多いんですよ。明治大学近くに今もある〈漢陽楼〉はかつて周恩来らが通った店。湯島聖堂をはじめ、学校が集積していたこの地区には漢学の文化があって、明治時代に中国人留学生が集まっていました。中国革命はまさにここで生まれたんです。
細野 学のある人がたくさん集まってたんだろうな。本物の文化人が。
中沢 そういえば昔、この神保町や本郷の古書店街でよく植草甚一さんを見かけました。推理小説のペーパーバックが並んでいるような店の中で、赤とオレンジのチェックのコートを着て立っていて。「あっ、植草さんだ! かっこいいなあ〜」とそっと横に並んでみたり(笑)。あと武満徹さんもよく見かけた。
細野 そういう人たちが通った、歴史を持っている街が今も残ってる。それがすごいんだよ。
中沢 商業の都じゃなくて、インテリジェンスの街ですもんね。実際、パリのカルチェ・ラタンにだってこんなに書店はありません。世界に冠たる街。威張るわけじゃないけど、ちょっと誇りたいですよ。
- photo/
- Yurie Nagashima
- text/
- Kosuke Ide
- edit/
- Naoko Yoshida
Share:
本記事は雑誌BRUTUS874号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は874号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。