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誰にも負けないってほどの、河童になりました。|伊東四朗

TOKYO80s

No. 874(2018.07.17発行)
LIFE IS PARK!
PHOTO / SHINGO WAKAGI

伊東四朗(第二回/全四回)

 東京者というだけでいじめの対象になるんですけどね、ある時、掛川で3年に1回だかの大祭りがあって。私は自称お祭り男で大活躍したんです、太鼓を叩いて踊って。そしたら一気に認めてくれましたよ。お祭りって大したもんだなと。あと、泳げなくて馬鹿にされましてね。東京の学校にもプールはありましたけど、火災の時の用水池になっていて泳ぐなんてもんじゃなくて。向こうの連中は川はあるし、みんな泳げる。悔しくて悔しくて、ある時、人工池のダムに1人で行って、そこで溺れたらしょうがないやって。ダムに栓棒が立っていてm先、そこまで泳いでみようと。それからですね、誰にも負けないってほどの河童になったのは(笑)。中学は毎日楽しかったねえ。部活は英語部でしたが、夏休みは最初に宿題を1日でやって、あとは8月日まで毎日泳いでましたね。あれと芋で体力がつきました。芋ばっかりですよ、弁当箱の中はサツマイモが2本だけ。たまにご飯があると、中に大根が入っていてね、いわゆる大根飯。後々、『おしん』のドラマで大根飯を食べた時は、「この味、知ってる」と思いました。あとは中国から入ってきた高梁コーリャン。メリケン粉を作るときにカスが出るじゃない。そんなもの。それがどうやっても食えないんだ、鳥じゃないんだから(笑)。親父がアイロンの箱の中に鉄板を貼って、電極をつけて、そこへ水で薄めた高梁をいれてパンにしようというわけ。そしたらヒューズが飛んで。親父はそのヒューズの代わりに針金を付けて、そうしたら、今度は町内のヒューズが飛んで町中が真っ暗に(笑)。静岡は7歳の3月から歳の月までいました。まず私と次兄と姉とで東京へ。もう焼け野原で元の家には住めなくて、見つけてきたのが国立。月に引っ越して国立中学に編入。すぐに卒業で、都内の学校に移ろうと。母親の妹が新宿にいたので、住所を借りて市ヶ谷高校に入りました。本当に良い友達に巡り合えました。いっぺんに気に入っちゃって、みんなが大好きで。入学してすぐに男子生徒の出席簿を覚えちゃって。人、今も言えます。先生が「出席を取ります」と言う前に、私が言ってたの。そしたら「お前、黙ってろ」って(笑)。学校に行くのが楽しいものだから、私が一番で学校を開けるんです。門も開いてないんですよ。ドンドンドンって扉を叩いて、「かいもーん」って言ってね。(続く)

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伊東四朗
いとう・しろう/1937年生まれ。喜劇役者、たいとう観光大使。大間町応援団長。

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SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA

本記事は雑誌BRUTUS874号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は874号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.874
LIFE IS PARK!(2018.07.17発行)

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