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自分の皮膚感覚、子宮感覚でモノを言ってきた。|湯川れい子

TOKYO80s

No. 840(2017.02.01発行)
みんなのZEN。
PHOTO / SHINGO WAKAGI

湯川れい子(最終回/全四回) 

モダンジャズに誘ってくれた大学生の人と結婚したかったんですが、母には許してもらえないし、相手のお父様がお医者様で、彼は医大を受け直すためにデートもままならない。コンボに行くために有楽町駅のホームのベンチでいつも待ち合わせてました。1時間以上も待ってて。今みたいに携帯電話もない時代、やっと電車から転がるように降りてきたら靴を履いていなかったんです。「親父が下にいて見張ってるから2階の窓から逃げてきたよ」って。それがやがて「ランナウェイ」の歌詞に結びつくんです(笑)。彼から教えてもらったジャズにハマって本気で勉強するようになって、19歳の時に『スイングジャーナル』の読者論壇に論文を送りました。それで電報が「いちどお目にかかりたし。本気で書いてみませんか?」と。詩人でも女優でも何でもいいから自分が自分として働けるものを探していて、初めて大きな手応えがあったのがジャズでした。来日するアート・ブレイキーとザ・ジャズ・メッセンジャーズにインタビューするのが初の大仕事。英語もできないのに「はい やります」って。その連続でした。作詞家も同じ。今のラジオ日本でDJ番組を持つようになって。本来自分で選曲して台本なしにお皿を回しながらしゃべれる人がDJだったんです。そういう意味では日本で最初の女性DJでしょうか。ある日アシスタントDJのエミちゃんがレコーディングすることになって、中島安敏さんが作った曲に「英語の詞を考えてよ」って。ありったけの英語で考えたけど途中からは何も出てこなくなって、女の人の名前を並べて、ナンシーやベッキーには優しいのにWHYWHY? なぜ私には冷たいの? と。エミー・ジャクソンという名前でアメリカのCBSのラベルで「CRYING IN A STORM・涙の太陽」。これがいきなり77万枚の大ヒット。ずっとラッキーな人生でしたね。自分がいいと思わないものは褒めたことがないし、自分がやりたくない仕事はやったことがない。だから今でも自分がこれは言っとかなきゃ死ねないなってことは国会の前に立ってでも言います(笑)。最近はそれが終活だと思っています。終始一貫して自分の皮膚感覚、女として母親としての子宮感覚でモノを言ってきたので。芯は、最初にエルヴィス・プレスリーとか、コンボに足を踏み入れて一瞬にして虜になったままの感覚だと思っています。(了)

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ゆかわ・れいこ/1936年生まれ。音楽評論家、作詞家。

第1回第2回第3回第4回

photo/
SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA
edit/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS840号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は840号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.840
みんなのZEN。(2017.02.01発行)

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