人生仕事

可愛くて才能があると思って育ったみたい(笑)。|湯川れい子

TOKYO80s

No. 837(2016.12.01発行)
ハズレ知らずの映画選び

湯川れい子(第一回/全四回)

生まれは東京目黒です。駒沢公園がまだ日本で2番目に古いゴルフ場で、戦争が激しくなり草ぼうぼうの野原でした。父は海軍勤めで、先祖代々は山形県の米沢藩出身。上杉鷹山の教えは文武両道でしたが、小さな藩だったので海軍兵学校を目指す人が多かったようです。叔父たちもみんな海軍で少将や大将と言われる人たちでした。父は青島や上海の駐在武官を13年ほどやって、日本の本部勤務になったときに私が生まれました。だから私のすぐ上の姉とは12歳違う。その間は何もなかったということですね(笑)。私は母が43歳、父が53歳の時の子供です。母は何も知らない人で本当に親同士が決めた結婚。結婚式のときに初めて父の顔を綿帽子の陰からそっと覗いて、怖い顔をしたヒゲを生やした人だったから悲しくて涙がこぼれたと(笑)。母が言うには、父は陰から母を見てあまりに綺麗な人で嬉しくてホゾホゾ足踏みしたそうですが(笑)。父は穏やかな人で家の中の司令官は母だから、やんちゃな息子2人には母の命令は絶対に聞けと。母はそれなりに父に小言を言う人でしたが、父も息子たちの前では肩をすくめて「はい、はい」と言ってました。兄弟は一番上が18歳上の兄、2番目が15歳上の兄。それと姉。はい。甘やかされました、めちゃくちゃに。母が病弱だったので姉が全部面倒を見てくれてました。兄2人も競ってあやしてくれました。よく自分でも愛は愛でしか育たないと言うんですけど、本当に愛されて何の疑いも持たず、自分は可愛くて才能があって素晴らしい子供だと思って育ったみたい(笑)。子供の頃は母は赤痢が怖い、人さらいが怖いと、塀に囲まれた400坪くらいの庭から、1人では出してもらえなかった。家の庭で遊ぶ箱入り娘ですね。あとは応接間に蓄音機と、客間にはピアノがあって、夜、レコードをかけながら父と母がよくダンスを踊っていました。私は3~4歳の頃、父の足の甲に乗って、父と母の間にクサビのように入って2人の間で抱っこされながら一緒に踊った記憶があります。それから父は尺八の名手でした。中秋の名月には庭に面した広い縁側に父が端然と座って尺八を、母はその後ろでお琴を弾いて。兄か姉がピアノを弾いて、私は父の後ろにコップを並べられてスプーンを与えられ、「好きなように音を出しなさい」と。コップを叩いて千鳥とかを演奏した記憶があります。(続く)

ゆかわ・れいこ

1936年生まれ。音楽評論家、作詞家。

第1回第2回第3回第4回

PHOTO/
SHINGO WAKAGI
TEXT/
KUNICHI NOMURA
EDIT/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS837号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は837号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.837
ハズレ知らずの映画選び(2016.12.01発行)

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