エンタツ・アチャコから知ってます、僕は。|糸井重里

人生を変えた、 あの漫才。

No. 835(2016.11.01発行)
漫才ブルータス
糸井さんの事務所の本棚には漫才や落語のDVDが揃っている。

 エンタツ・アチャコ(横山エンタツ・花菱アチャコ)を聴いたのはいくつの時だっただろう。小学校に入る前かな。「むちゃくちゃでごじゃりまするがな」ってアチャコのギャグが流行ったんですよ。テレビなんてまだない時代。ラジオの時代です。
 で、昭和30年代。僕が小学生だった頃。中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ。子供たちを含め漫才が爆発的に広まったんです。まだテレビ前夜。その背景には貸本漫画ブームがあったんです。手塚治虫を中心としたメディアに対抗し勃興した貸本漫画。貸本屋だけで流通する漫画本で、そこで登場したのが「劇画」だった。さいとう・たかを、影丸穣也、白土三平、水木しげる。そういった作家たちが貸本漫画から出てきたんです。そんな貸本漫画に「漫才の漫画」というのがあった。ダイラケやAスケ・Bスケなんかが実名で登場して絵も本人そっくりの劇画調。これは読まざるを得なかった(笑)。
 1960年代。テレビ時代の到来です。「笑い」もテレビに移行しました。藤田まことの『てなもんや三度笠』、大村崑の『やりくりアパート』、茶川一郎の『ごろんぼ波止場』。それまで貸本漫画で読んでた漫才や喜劇がテレビになって。夢中で見ましたね。ミヤコ蝶々の『スチャラカ社員』にはエンタツやダイラケも出ていて、そこでアイドルとして登場したのが藤(富司)純子です。
 そして70年代です。横山やすし・西川きよしの登場です。やすきよのインパクトは、やっぱりやすしさんですよね。ボケのやっさんがツッコミのきよしさんを「ドアホ!」ってまくし立てながら引っ張っていくのが斬新だった。面白いのは、そういった激しさとは裏腹に、彼らは必ず「きみ」と「ぼく」で漫才をすることでした。それはエンタツ・アチャコからの伝統なんです。スーツもそう。漫才は、最後に「どうも失礼しました」と言うことでそれまでのデタラメを帳消しにできるんです。そのためには、スーツであること、「きみ」であり「ぼく」であること、そこはとても大切だった。だからこそ、「ドアホ!」と言えたんです。
 そういった伝統を壊していったのが『THE MANZAI』に端を発する「漫才ブーム」。80年代初頭、伝統を継承したやすきよが頂点に立ち、同時に伝統を壊す漫才も台頭してきたんです。ツービート、B&B、ザ・ぼんち、島田紳助・松本竜介。彼らはスーツじゃなく普段着だったし歌も歌った。僕はB&Bやザ・ぼんち、春やすこ・けいこの曲を作詞したんですよ。全然売れませんでした。まあ、その話はともかく(笑)。
 そしてここから、「誰がホンを書くか」の問題になっていく。つまり、やすきよまでは漫才と台本は分業が主流でしたが、ツービート、B&B、紳竜から「シンガーソングライター」になったんです。自分の漫才は自分で書く。「ホンと芸を両立させてこその漫才」だと。その一つの結論が又吉直樹芥川賞受賞なんですね。
 あの時代、衝撃という意味で一つあるのは、僕は紳竜なんです。当時僕は、『ザ・テレビ演芸』という番組に審査員として出てました。司会はやっさん。ある時、ゲストの紳竜が忙しすぎて大遅刻した。やっさんが「ドアホ!」って怒り狂う中、「到着しました!」って滑り込んでそのまま客前に出たんです。すごいテンションで紳助がしゃべりまくり、竜介は慌てまくる。これがめちゃくちゃ面白い。最後に紳助が、「何やったらいいかわからんようになった! 手をつなごう!」って竜介と手をつないだんです(笑)。全部紳助のアドリブでしょう。すごかった。世間をなめきった態度も含めて。いまだにあれに勝つ驚きはないです。
 時を経て2000年代。『M−1グランプリ』の時代に突入しました。ここで僕の大好きなサンドウィッチマンが登場するんです。彼らも徹底したシンガーソングライターですが、僕が愛してやまないのは、ボケがツッコミを乗せて突然ハシゴを外す「落とし」の部分。富澤たけしの「ちょっと何言ってるかわかんない」はまさにそれ。その一言で伊達みきおが言ったことを全部ナシにする。ひっくり返しの面白さです。ほかにもそういう漫才はあるんでしょうけど、彼らは傑出してると思うんです。
 ということで。ここまで延々と「笑い」の歴史を語ってきたわけですが、じゃあいちばん面白い人は? と聞かれれば、それはやっぱり明石家さんまさんでしょうね。漫才師じゃなくお笑い怪獣ですけれど(笑)。

思い出の漫才

横山やすし・西川きよし
「ドアホ! 怒るでしかし!」
ボケのやすしがツッコミのきよしを怒鳴りつけボケとツッコミが入れ替わる際に発する台詞。「やすきよ漫才」の真骨頂。

島田紳助・松本竜介
「あの時の即興漫才」
1980年代初頭、糸井氏が審査員を務める『ザ・テレビ演芸』で披露。当時の紳竜は「ツッパリ漫才」と呼ばれていた。

サンドウィッチマン
「富澤の落としの名台詞」
「ちょっと何言ってるかわかんないです」
はサンド漫才でお馴染みのパンチライン。2007年『M−1』優勝とともに有名に。

糸井重里 ●ほぼ日刊イトイ新聞主宰 Shigesato Itoi

1948年群馬県生まれ。98年ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を創設。1日150万PVを超え、「ほぼ日手帳」などクオリティの高いグッズ開発などでも注目を集める。2016年6月には犬や猫と人が親しくなれるアプリ「ドコノコ」をリリース。

photo/
Ayumi Yamamoto
text/
Izumi Karashima

本記事は雑誌BRUTUS835号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は835号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.835
漫才ブルータス(2016.11.01発行)

関連記事