「東京での仕事は忙しかったけれど、本当に行って良かった。何が良かったかって? それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと……」
『旅をする木』で星野さんと一緒に旅した女性の言葉。じつは私にも同じような記憶があります。
Mr.Childrenのアルバムジャケットを手がけていた時、ある曲を聴いてクジラのイメージが浮かんだんです。便利な世の中ですから、メール一本で写真は借りられます。でも、迷わず現地へ赴きました。
ボートで海を走っていると海面が波立ち、クジラの巨体が舞いました。その水しぶき、体が海面に落ちる音、震動。呆然としてその美しさに心震わせながら、恐ろしいとも思いました。とんでもないところに来てしまったって(笑)。
今でも忙しい毎日でふと、あのクジラを思い出します。そしてこうも思うんです。人間と自然の関係って、靴下を裏返すみたいに簡単に入れ替わってしまうんだ。街では人間が主役で自然を見ているけれど、いざ自然の中に入れば、何もできずにぶるぶる震えるだけ。
それでも私はクジラを見て良かった。自分の内に別世界に流れる時間を持つこと。それがあればいつだって、自由に靴下をひっくり返したり戻したりできるんだもの。
- photo/
- Yuriko Kobayash
- text/
- Keiko Kamijo, Hikari Torisawa, Tsumugi Takahashi
- illustration/
- Amigo Koike
本記事は雑誌BRUTUS830号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は830号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。