人生仕事

2つの挫折を経験して、作家の道は駄目だとわかった。|田原総一朗

TOKYO80s

No. 830(2016.08.16発行)
こんにちは、星野道夫。
PHOTO / SHINGO WAKAGI

田原総一朗(第二回/全四回) 

 1学期までは聖戦だと言ってた先生が、2学期になって実は間違った戦争だった、侵略していたのはアメリカやイギリスではなく、日本だったと。子供なりに、大人がもっともらしい口調で言うことも、新聞もラジオも信用できないなぁ、国も国民を騙すことがあるんだなぁと強く思った。これが僕の原点です。だから今も非常に疑り深いですよ。メディアなんて信用できないと思ってる。だから自分の目で、耳で直接確かめるんです。僕は今でも新聞を6紙とってます。書いていることが違うから。そして、書いた人間、しゃべった人間に直接確かめる。戦争の経験は人生に大きな影響を与えました。大島渚や野坂昭如は理屈なしに戦争は嫌だったでしょうね。僕も理屈抜きに戦争は嫌いですが。士官学校という目標がなくなった後は、作家になろうと思ってた。本を読むのが好きで、書くことも好きになって。それに商人が嫌いだからね。中学、高校では平凡に夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介、大学に入ってサルトルやカミュなど実存主義の小説にはまり込んで。当時、早稲田大学の文学部出身の作家が多かったからそこだけ受けた。うちは貧しかったので東京に行くのに両親は反対でした。地元の滋賀大学や京大、関西の国立大に行って、家に仕送りをしてほしいと。それで僕は東京の大学には行くけれど、生活費は自分で稼いで仕送りもするという条件で東京に。JTBの試験を受けて入って、大学は夜間。卒業はしなくても、いろいろ応募して入選すればいいと。ところが全然入選しなかったし、途中で挫折もしました。JTBの3年目かな、日本橋の本屋さんの前を通ったら文学界新人賞、石原慎太郎『太陽の季節』って。その場で立ち読みして参ったと。僕は女性を知らないで男と女の関係を書いてたわけ。でもあれは明らかに弟の裕次郎の話を書いてたのに非常にリアリティがあった。これで半分挫折。次が芥川賞。大江健三郎の『飼育』。これで完全に挫折。大江の文章は、非常に文体が洗練されててね。この2つで挫折して作家は駄目だと。同人誌もいろいろやったけど、どこでも褒められなかった。「文才のある人間が1作目を書くことを努力と言う、君のような文才のない人間が書くのは徒労と言うんだ」と言われてね。どうしようかと思ってジャーナリストになろうと思うわけですね。ものを書くのと近い商売で。(続く)

田原総一朗
たはら・そういちろう/1934年生まれ。ジャーナリスト。ニュースキャスター。

photo/
SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA
edit/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS830号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は830号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.830
こんにちは、星野道夫。(2016.08.16発行)

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