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小さな頃から細かくこちょこちょ描くのが好きだった。|藤城清治

TOKYO80s

No. 817(2016.02.01発行)
漫画ブルータス
PHOTO / SHINGO WAKAGI

藤城清治(第一回/全四回) 

生まれは大井町です。きょうだいは姉と2人で、父は三菱銀行の銀行員でした。調査役や検査役として、また銀行関係の本を出してもいました。とにかく真面目で堅いというか、夜は6時には家に帰っているような人でした。母は小学校の先生をやった、割合と融通の利く人で、僕が絵を描くのを応援してくれていました。小さい頃から絵ばかり描いている無口な子と思われていたみたいでね、母が先生に相談したら「絵を描いてみんなに見せたりしているので大丈夫ですよ」と言われたと聞いたことがあります。小学校の担任が絵が好きな先生だったので、随分と可愛がってもらいました。地区の展覧会には必ず選ばれてね。わっとした子供の描く自分画みたいな絵じゃなく、細かい風景みたいなものを描いたりしていました。細かくこちょこちょ描くのが好きだったんですね。中学に上がる時、父が銀行の後を継がせるようなつもりで僕を慶應の普通部に入れました。当時、成績が良い者は公立の一中を受けて東大に行く、それか四中に入って士官学校や海軍の兵学校へ入るという2つがありました。僕は四中を受けろと。だから頭は良かったんだと思う。まぁ落ちたんだけれど、それが良かった(笑)。受かっていれば士官学校だったかもしれないから。普通部でも教練とかあってね、あんまり好きじゃなかったですね。でもやらなきゃしょうがないから習志野とかに野宿の訓練に行っていましたよ。普通部では労作展というのがあるんです。何かしら夏休みにやったものを展覧会で見せる。必ず賞を取ったりしていましたが、そこでも細かいものを。例えばうちの母屋の模型をそっくり瓦や窓まで一枚一枚作ったり(笑)。あるいは関東地方の地図を完全に色を付けてやるとか。そういうのが得意でした。当然美術部に入りまして、仙波均平というフランス帰りの絵の先生に大事にされたもんだから、中学でありながら油絵やエッチングまでやりました。授業中は先生の目を盗みながら似顔絵を描いてみんなに回したりしていました。学校中で有名になって、いろんな人から「描いて」と頼まれましたよ(笑)。教科書やノートは真っ黒になるくらい、いたずら描きでいっぱい。父は堅かったけどうるさくはなかったので怒られた記憶はないですが、成績がちょっと悪いとすごく母に怒られた記憶があって、母の方が怖かったことを覚えています。(続く)

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藤城清治
ふじしろ・せいじ/1924年生まれ。影絵作家。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受章。

photo/
SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA
edit/
HITOSHI MATSUO

本記事は雑誌BRUTUS817号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は817号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.817
漫画ブルータス(2016.02.01発行)

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