音楽・ラジオ

新旧・シティボーイ邂逅、 受け継がれるバンドマン魂。

風待茶房

No. 804(2015.07.01発行)
松本隆
1998年10月から約13年。松本隆は、自身がマスターを務め、客人をもてなしながら、自由に語り合う場をWebに持っていました。風街の中、風が動くのを待つ場所。写真は左からハマ・オカモト、オカモトレイジ、マスター松本隆、オカモトショウ、オカモトコウキ。

松本が今、逢いたいというOKAMOTO'Sが登場。音楽について語ります。

マスターの元にわいわいとやってきたOKAMOTO'Sは現代を代表する“東京っ子バンドボーイズ”。稼いだギャラはすべてレコードと機材に消えてしまうという、根っからの音楽好き。マスターも自分の若い頃を思い出したようです。

OKAMOTO'Sの「オレの松本隆・初体験」。

ハマ・オカモト
僕は「てぃーんず ぶるーす」ですね。母が原田真二が大好きでよくCDをかけていて。小学生だったんですが、「ぼくのズックはびしょぬれ」というフレーズで「ズック」って言葉が妙に気に入りまして。それからはずっと靴をズックと言っていて。いまだにそのクセが抜けないんです。「おしゃれなズックですね」って(笑)。でも、誰も「ズック」をわかってくれなくて。
松本隆 
「ズック」は僕が小学生の頃の言葉だから。原田真二の頃にはすでに死語。僕は死語を使うのが好きなんだ。ハイカラとか。
オカモトショウ 
はっぴいえんどの「はいからはくち」だ!
オカモトコウキ 
僕は、中学生のときにはっぴいえんどの『ゆでめん』(ファーストアルバム『はっぴいえんど』)を友達に教えてもらって聴いて。それが初体験でした。それこそ「はいから」って一体何なんだろうって。「春らんまん」も難しい言葉が出てくるじゃないですか。「花桅子」や「婀娜な黒髪」だったり。なんだか外国の音楽を聴いているような印象を受けました。
オカモトレイジ 
コウキは中学生のとき、ショウと一緒に〈ももんが〉っていうはっぴいえんどのコピーバンドをやってたんですよ。
松本 
そうなんだ(笑)。
コウキ 
「暗闇坂むささび変化」からの「ももんが」です(笑)。
ショウ 
タイトルは「むささび」なのになぜ「ももんがーっ」って歌ってるんですか?
松本 
それはいっつも突っ込まれるよ(笑)。幼稚園の頃だったかな、おばあちゃんがよく脅すわけ。「悪いことすると夜中にモモンガ飛んできてさらいにくるよ」って。おばあちゃんは、モモンガとムササビがごっちゃになってたんだ。
レイジ 
モモンガとムササビって実際に違う生き物なんですか?
ショウ 
ムササビはよく飛ぶ。でも、モモンガはあんまり飛ばない。
松本 
幼稚園の頃っておばあちゃんが間違ったことを言うなんて思わないじゃない。だから僕は悪くない。おばあちゃんの勘違い。
OKAMOTO'S 
あはははは(笑)。
ショウ 
僕の初体験はKinKi Kidsの「硝子の少年」です。
ハマ 
流行歌でしたよね。
松本 
僕は90年代はほとんど作詞を休んでいて。KinKiは休んだ後の大ヒットだったんだ。
レイジ 
当時の子供は全員歌えましたから。僕ら小1でした。
ハマ 
僕らは1990年、91年生まれなんです。
松本 
これからの人生長くていいねえ。僕はあとちょっとだ(笑)。
ショウ 
それで、「舗道の空き缶蹴とばし」が理解できていなくて「ホウドウのアキカン」だと思ってたんです。「ホウ〜ドウ〜の♪」
レイジ 
帰国子女なだけに。
ハマ 
やけに発音はいい(笑)。
ショウ 
詞を意識して聴くようになってから好きになったのは、大滝詠一さんの「君は天然色」です。「手を振る君の小指から 流れ出す虹の幻で」。そのシーンが見えた瞬間とても感動して。いい詞ってこういうことだなと。

ボーカルなしのインストで 自然と演奏力を鍛えました。

松本 
僕は細野晴臣に「詞を書け」と言われて書くようになったのね。
コウキ 
細野さんと松本さんの出会いの話は本で読みました。初めて会ったとき、細野さんがベースを弾いて松本さんに聴かせたって。
松本 
渋谷のヤマハで弾いてくれたんだ。ビートルズの「デイ・トリッパー」を弾くんだけど、何回もつっかえて。あれ? って(笑)。
ハマ 
あの曲、難しいんですよ。
松本 
しかも「君は髪が短すぎる」って細野さんに怒られて(笑)。
ハマ 
はっぴいえんどになってから髪を伸ばしたんですね。
松本 
細野さんほどは伸ばさなかったけど、吉田拓郎ぐらいはあったかな(笑)。でも、細野さんはYMOを始めてから刈り上げにしたんだ。で、その頃、深夜の喫茶店で一緒にコーヒー飲んでたら若いバンドの子がやってきて、「細野さんサインしてください」って。そしたら細野さん、「君たち髪が長すぎるんだよ」(笑)。
ハマ 
髪の長さに厳しい(笑)。
松本 
はっぴいえんど細野さん、大滝さん、僕と1歳ずつ年子で、(鈴木)茂が僕の2つ下で末っ子だった。みんなは同級生?
レイジ 
はい。中学・高校とずっと一緒の学校だったんです。
松本 
OKAMOTO'Sはみんな演奏がとってもうまいじゃない。
ハマ 
最初は全員初心者でした。ジャムセッション研究部というのが中学にありまして。ショウとコウキは先に入って。その前から友達だったんですが、この2人が音楽を始めてからは音楽の話ばかりになってしまって。会話についていけないのが悔しいから僕も入りました。そこから芋づる式に友達がどんどん部に入って。
レイジ 
そこが僕らのアジトになったんです。僕らだけの秘密基地。
ハマ 
伝統的に邦楽をやらない部だったので、自ずと洋楽ばかりで。歌うのが恥ずかしいからインストでツェッペリンをカバーしたり。
レイジ 
クリームだったり。
松本 
ボーカルなしで(笑)。
ハマ 
インストで「デイ・トリッパー」です(笑)。いま考えると、インストばかりやっていたことが練習になっていたんだと思います。60年代のロックは技術がないとできない曲が多いじゃなですか。
松本 
僕も高校生の頃はやっぱりボーカルがいなかったからインストバンドだった。その後、細野さんたちとバンドをやるようになって、ディスコのハコバンのバイトを毎晩明け方までやってた。それで僕らも演奏力が鍛えられた。そういえばさ、青山のディスコでハコバンやってたとき、森進一が踊ってたことがあったんだ(笑)。

東京っ子は ひ弱なシティボーイです。

松本 
じゃあ君たちも東京っ子だ。
ハマ 
ひ弱な東京っ子です。
松本 
僕らの頃は九州勢がすごくてさ。やる気満々で来るから。
ハマ 
いまでもやる気満々ですよ。
レイジ
柴山(俊之)さんなんていっつも上半身裸ですもん!
松本 
東京っ子はそういう人たちと戦うのが大変なんだ。
ハマ 
最近やたら「東京っ子」と言われるようになりまして。でも、東京に生まれ育つと「東京」に対して無自覚になっちゃうんです。
レイジ 
「シティボーイ特集」的な企画でよく取材をしてもらうんですが、求められているであろう話が全然出てこないんですよ。
松本 
僕は東京タワーが半分の頃を知ってるけどね(笑)。
ハマ 
いいなあ! すごいですね。
レイジ 
でも、のちのち僕らも言えるよ。「スカイツリーがなかった頃を知ってるよ」(笑)。僕らは世田谷近辺が地元なんですが、松本さんはどこが地元ですか?
松本 
青山
OKAMOTO'S 
うわ〜!
松本 
前の東京オリンピックのとき、区画整理で家は道路になった。キラー通りになっちゃったんだ。で、引っ越した先が西麻布
レイジ 
それはもう、がっちりガチガチのシティボーイですよ!
ハマ 
カッチカチですよ!
ショウ 
ハチが入ってきた!(席を立ち逃げ回るOKAMOTO'S) 僕ら、ホント虫が苦手なんです。だから夏フェスや野外ステージは大変。虫が怖くて。
ハマ 
シティボーイだけに(笑)。

松本 
OKAMOTO'Sの弱点だ。

松本隆のドラムを 引き継いで使ってるんです。

ハマ 
40年後僕らがいまの松本さんの年齢になったとき、バンドが文化としてそのときまであるのかな、ということは正直思います。僕らはバンドが好きですしこれからも続けていく気満々ですが、文化として残るのかという不安はあるんです。
レイジ 
いまはボーカロイドだったり、そういうのが主流の時代ですから。
松本 
僕も以前若い子に、「松本さんはなんでバンドなんてやってたんですか? DJの方がカッコいいのに」って言われたときは目がテンになったんだけど(笑)。
ハマ 
「男4人で一緒にバンドやってんの気持ち悪い」なんて言われたことさえありますよ。僕らのバンドに対する熱量や原動力になっているものって、はっぴいえんどぐらいから続くいわば伝統芸能のようなものじゃないですか。カッコいいバンドがいないとどんどんダサい方向に行ってしまうから、頑張らないとなって。
レイジ 
あの、一つ言いたいことがあって。僕、松本さんが叩いていたドラムを使ってるんです。
松本
マジで?
レイジ 
松本さんが30周年のイベントで叩いたドラムです。それがうちのマネージャー経由で僕のところへ。シンバルとスネアはデビューした頃からずっと使ってます。19歳の頃から。
ハマ 
松本隆のドラム、ヤバ!」って言いながら(笑)。
松本 
受け継がれてるんだ。すごくうれしい。美しい話だね。
レイジ 
よかったぁ〜。オレ「返せよ!」って言われるかと思ってずっとドキドキしてた(笑)。

松本隆

作詞家。1949年東京都生まれ。慶應大学在学中よりバンド活動を開始。20歳のとき、細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂とともに〈はっぴいえんど〉を結成し、ドラムスと作詞を担当。「日本語のロック」を立ち上げる。はっぴいえんど解散後は作詞家に専念。作曲家・筒美京平や、はっぴいえんど時代からの仲間たちとともに歌謡曲黄金時代を築いた。作詞は2,100曲を超え、オリコンベストテン入りした曲は130曲を超える。

OKAMOTO'S

2010年アリオラジャパンよりデビュー。くるりの岸田繁プロデュースの“両A面シングル”「Dance With Me/Dance With YOU」発売中。ラモーンズのように名字は全員「オカモト」。敬愛する岡本太郎から拝借している。

photo/
Katsumi Omori
text/
Izumi Karashima

本記事は雑誌BRUTUS804号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は804号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.804
松本隆(2015.07.01発行)

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