音楽・ラジオ

情景で心を描く | 齋藤 孝

風街研究所

No. 804(2015.07.01発行)
松本隆

松本隆現代語訳  シューベルト『冬の旅』より

「幻」


明るい光が親しげに舞うよ

ジグザグに追って

まやかしと気付く

ああ 色あざやかな

罠にわざと惑う

氷の彼方に

あたたかな家と愛らしいあの娘

すべては幻

学生時代から松本隆さんの詞に浸り続けてきたという齋藤孝さん。松本さんが現代語訳したシューベルトの歌曲の中に、齋藤さんが見たその詞世界の本質とは。

松本さんが訳したシューベルトの歌曲集『冬の旅』に「幻」という曲があります。そこに描かれているのは、明るい情景の中で、「すべては幻」のように感じてしまう主人公の悲しみです。哲学者大森荘蔵は「人間の心は情景の中の小さな前景に過ぎない」と言って「天地有情」の哲学を説いていますが、「幻」でも情景と心が分かたれていない。情景を描くことで心を描いている。それは「幻」に限らず、松本さんが書くすべての詞に共通することだと思います。
 
近年、自分の心情を直截に描く詞が増えていますが、それは職業作詞家が減ってきたことと無関係ではありません。ミュージシャンが自分で詞を書こうとすると、どうしても自分の気持ちを前面に出してしまう。ところが、作詞家は一歩引いて、情景の中に心を溶け込ませて描くことができます。ミュージシャンの詞は、その主張や価値観に共感できなければ入り込めません。でも松本さんの詞は、情景を通じて心を描写することで、歌い手と距離を取り、誰もが参加できる世界を作り上げています。
 
松本さんの素晴らしいところは、情景と心、そして音楽が「風」によって結ばれているところです。「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」と言ったのは19世紀の文学者ペイターですが、音楽は形を持たず流れていく。それは風に似ていますね。心も風のように移り変わっていきます。そして、情景も風が吹くことで生命を与えられます。著書『風のくわるてつと』の中で、松本さんは「誰もいないホームには風も吹かない、と彼は思った」と書いていますが、それは心が街に風を吹かせるという考え方です。街は空間的に存在するだけでなく、時間的な記憶の重なりの中にも存在している。風景は記憶と分かつことができません。松本さんは現在の風景に風を吹かせることで、過去の風景を二重写しにするんです。

「どっどど どどうど どどうど どどう」の一節で知られる『風の又三郎』をはじめ、宮沢賢治は風にまつわる作品をたくさん作りました。風の中を大股で歩きながら、心に映る風景をスケッチしていった彼の手法が心象スケッチです。松本さんが宮沢賢治を好んでいたことは、その初期の文章を読むとわかりますが、心象スケッチの手法は今も松本さんの中に生きています。松本さんは移りゆく心の情景をスケッチしてきたんですね。
 
そういった松本さんの詞世界は、アルバムの中でこそ十分に理解できます。そこにはコンセプトがあり、曲と曲が繋がり合って、一つのストーリーを作り上げている。アルバムを聴けば、松本隆が日本の文化においていかに大きな存在であるかがはっきりします。

さいとう・たかし/1960年生まれ。明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。『声に出して読みたい日本語』『感化する力』『人生は機転力で変えられる!』など著書多数。

text/
Yusuke Monma
撮影/
有高唯之

本記事は雑誌BRUTUS804号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は804号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.804
松本隆(2015.07.01発行)

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