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『進撃の巨人』が日本を夢中にさせる6つの理由。

No. 790(2014.11.15発行)
進撃の巨人

人間を食い、食われることの欲望と禁忌。

 この作品を美術の立場から見る時、フランシスコ・デ・ゴヤのイメージを重ねないわけにはいきません。すなわち「巨人」と「わが子を食らうサトゥルヌス」ですが、「巨人」については数年前、弟子の作だと結論されました。「わが子を食らうサトゥルヌス」にも別人説が出ていますが、ゴヤ作という前提で話すとすると、このサトゥルヌスと、諫山さんが描く巨人には共通して惹かれる部分がある。それが食人です。人間の根源的なタブーは食人と近親相姦ですが、裏を返せば欲望でもあるからこそ、恐怖や嫌悪を感じつつも惹かれてしまう。将来自分の子に殺されるという予言を恐れたサトゥルヌスが、わが子を次々と呑み込んだというローマ神話に基づく「わが子を食らうサトゥルヌス」は、その欲望が神話の時代から存在していたことを示しています。ただ神話とゴヤの絵が違うのは、呑み込むのではなく、頭からかじり、食い殺していること。黒を基調とした静寂の中に、人間をかみ砕く音がすさまじい大きさで響き渡っているようです。正直、この漫画を読んでいてつい見返してしまうのも、人間が食われる場面です。その時感じているのは「食いたい」より、「食われたい」感。現代の人間は食物連鎖の頂点にあってほかの生物を食べるばかりですが、人間を捕食の対象として描く漫画を読んでいると、生物種として忘れていた「食われる恐怖」が甦ってくるようなのです。
 また裸体、かつ知性を感じさせない表情で描かれた巨人は、オディロン・ルドンの「夢のなかで」をはじめとする石版画のシリーズを連想させます。ルドンが活躍した19世紀末は、精神医学の発展が「精神障害者」への、人類学の発展が「未開人」への関心を集め、見せ物小屋から万博までさまざまな場で紹介されました。その「愚鈍」あるいは「野蛮」さ、だからこそ「神聖」でもある人間の姿を、ルドンは絵の中に採り入れた。人間とは何か、その定義が検討された時代の絵画には、諫山さんの描く巨人と共有するものがあるように思うのです。一つ気になるのは、人間が巨人を食おうとしないこと。巨人の肉は切り離されると消えてしまうようなので、原理的に難しいのかもしれませんが、もし禁忌に触れる感覚があるのだとしたら、それは既に巨人を人間だと認めていることになるのではないでしょうか。

保坂健二朗

ほさか・けんじろう/1976年生まれ。東京国立近代美術館主任研究員。2013年『フランシス・ベーコン』展を企画。『すばる』『朝日新聞』に連載中。

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Mari Hashimoto

本記事は雑誌BRUTUS790号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は790号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.790
進撃の巨人(2014.11.15発行)

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