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学校はあまり行ってないけれど、私は勲章までもらえたの。|内海桂子

TOKYO80s

No. 787(2014.10.01発行)
世界で生き抜く50の知恵
PHOTO / SHINGO WAKAGI

内海桂子(第三回/全四回)

 昭和22(1947)年頃、浅草を通った時、女中さん募集の貼り紙を見て飛び込んだの。「よかったら夜来てみなさい」って。家に帰ってお召しの着物に替えて戻ったら、上が料亭、下がキャバレーなんです。だから上、下で稼いだんですよ(笑)。自分でもほんとにびっくりしましたよ。客のアメちゃんが、私のことを指名してね。「桂子いるか?」ってね。でもやっぱり根っからの漫才師だから、世の中落ち着いてきたら、いざまた誘われて、好江とコンビを組んでね。当時、好江14歳ですからね。何もわかってないから仕込みながらです。彼女は親が芸人でしたが、踊りも何もやってないの。だからあたしが踊りから、三味線も着物も教えてね。マンボもやりました。ほかの漫才師は三味線を弾いて歌うだけなのに、うちは「マンボ」ってやっていたんですよ(笑)。とにかく好江を仕込まなきゃいけないからって、飲み屋にもキャバレーにも連れていったし。最初は2人とも酒を全く飲めなかったのが、飲めないと話にならないって気づいてね。それこそ座敷に呼ばれて大臣の田中角栄さんとか福田赳夫さんにも芸を見せましたよ。大企業の社長さんとかね。偉い人の方がいじるのが面白かったですよ(笑)。2人で漫才やって昭和33(1958)年にNHK新人賞を取りました。私はその時30過ぎで全然新人じゃなかったですけどね(笑)。好江がまだ20ちょっと。師匠としては、好江に早く箔付けなきゃいけないって、嫌々だけれども賞取りに出ていって。3回落っこちて4回目に取りました。でもね、3回目に落っこちた時には好江に「お前が下手だから」って言っちゃったんですよね。ギクッときたのか、あの娘が睡眠薬を飲んで自殺未遂ですよ。しごきすぎだったのかもしれませんが。戦争の時もそうだけれども、その後だってすごい修羅場踏んでいるんですよ。学校は小学4年しか行ってないけれど、勲章だってもらえたんですから。だからね、59分漫才もできた。今はできませんよ、相方がいない。好江がもういないからね。普通の漫才は15〜20分で台本が20枚です。1時間は70枚。それでも、こぼれちゃ駄目。1時間以上やらず、きちっと59分で終わらす。そうじゃなきゃ芸じゃない。こうやってしゃべってるだけでも目でものを言うのよ。目で、話す。体でものを言わなきゃ芸じゃないのよ。この頃ね、それがわかってきました。(続く)

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内海桂子
うつみ・けいこ/1922年生まれ。漫才協会名誉会長。漫才師初の芸術選奨文部大臣賞受賞。

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SHINGO WAKAGI
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KUNICHI NOMURA

本記事は雑誌BRUTUS787号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は787号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.787
世界で生き抜く50の知恵(2014.10.01発行)

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