人生仕事

ジャン・バルジャンかと思ったら俺の兄貴だったんだ。|宝田 明

TOKYO80s

No. 778(2014.05.15発行)
親と子
PHOTO / SHINGO WAKAGI

宝田 明(第二回/全四回)

 昭和22(1947)年に、ハルビン最後の引き揚げ団数百名としてやっと帰国というときに、僕のすぐ上の兄がソ連の強制使役へ行ったまま、ある日帰ってこなかった。周りの人たちに聞いても「帰ったんじゃないの?」って。それが1週間経ち、10日経ち、半年経ち、どこへ行ったかわからない。短冊みたいなものに「宝田まさお、我々は故郷に帰っているよ。新潟村上だよ」と書いて、止まった駅でババッと貼って引き揚げた。道中は2ヵ月くらい野を越え、山を越え。食い物はなく、畑へ行って、ニンジンやトウモロコシなんかを取ってね。これがまた甘いんだ。みんな栄養失調で、赤ん坊持った親のおっぱいも出ない。殺すよりは中国人に預けた方が良いだろうと涙の別れをした残留孤児で一杯でしたよ。引き揚げの船に乗って、なんとか故郷の村上に落ち着いた。ところがこっちはハルビンで外国の人と付き合っていたから、“クソ田舎のこの野郎”ってね。合わないんですよ、田舎が。そしたら俺に大陸ってあだ名をつけやがって(笑)。生活には困りましたよ、お袋が新潟で魚を買ってきて、雪が降る中俺は通りの家の庇を借りて、「ホッケはいかがですか」って売っていました。ぼたん雪が降るある日、髭がボウボウで軍隊のコートを着て、「役場はどこですか?」って聞く男が来て。ジャン・バルジャンは、きっとこんな格好してたんだろうと思ってると、後ろを振り向いてじっとこっちを向いている。何だろうと思ってよく目を凝らして見てみたら「あれ兄ちゃんだよっ」て。ソ連軍に引っ張ってかれてたんですよ、中国で。第一声が、「なんで俺を置いて先に帰った」って。「いや、色々な貼り紙をして……」「そんなこと知るか」。野を越えて、山を越えて、南満州で1ヵ月以上働いて金を貯め、密航船のような船に乗り、新潟県村上、それだけを頼りに歩いて帰ってきたんですよ。中2のとき、親戚を頼って東京に出てきたんですが、高校に入ってもどうも合わないんだよね、この満州の外地で育った人間は(笑)。それでバイトに明け暮れながら芝居で自己表現したいなって。小学校の学芸会で芝居やれって言われて精一杯にやったら、引き揚げの少年がね、学校で人気者になった。それに快感を覚えた。何か一つを通じて自分という存在というか自己表現できるという感覚が、役者になる遠い原因としては、あったのかなと思ってますね。(続く)

宝田 明
たからだ・あきら/1934年生まれ。俳優。代表作『ゴジラ』60周年。米国版が5月公開。

第1回第2回第3回第4回

photo/
SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA

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No.778
親と子(2014.05.15発行)

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