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父と母の背中を見続けて知った音楽を生み出すことの神聖さ。|坂本美雨

ぼくの、わたしの、こう育てられた。

No. 778(2014.05.15発行)
親と子
『ASIA MUSIC NETWORK』(NHK BS1)ナレーション風景。「声を届けるお仕事は簡単にできることではないので大切にしています」

幼少の頃はスタジオが遊び場だった。坂本龍一と矢野顕子という音楽家の両親の間に生まれた坂本美雨さんにとってはごく自然なことだったという。
「録音ブースの横にある、機材などを入れる小さな部屋で絵を描いたりしていました。エンジニアやスタッフの方にかわいがっていただいて、遊んでもらっていましたね(笑)」
 
幼いながらに見ていた両親の仕事風景は、その後の美雨さんに大きな影響を与えている。
「レコーディング中は泣いたり、わがままを言ってはいけないと察していました。さっきまで優しかった大人たちが、演奏を始めた瞬間、表情が変わることもわかっていて。音楽が生まれる場所は、神聖なものだという意識があったのかもしれません」
 
この時、美雨さんはまだ小学校に上がる前だが、洞察力は鋭かった。
「音楽を作るということは、決してミュージシャン一人でできるものではないと感じていました。レコーディングならエンジニアさん、ライブなら音響さんや照明さん、衣装やメイクさんなど。表には出ないけど、たくさんの人が集まって音楽を作っているということは、小さい頃から理解していたように思います」
 
家庭生活はどうだったのだろう。
「子供の頃、一緒にいた人を時間の円グラフにしてみると、母は40%、シッターさんやスタッフの皆さんが57%、父が3%。教授(坂本龍一)はとにかく家にいませんでした(笑)。母は兄とわたしが寝てからピアノに向かうことがあり、子守唄代わりに演奏を聴いていた記憶があります」

三浦憲治が撮影した一枚。写真集『YMO SEALED』より。「YMO散開(1983年)の楽屋かもしれません。記憶はありませんが」(1989)

世界中で活動していた教授。美雨さんが10歳の時、NYへ移住する。
「4歳の頃からピアノ、一家で渡米後、中学からはチェロを弾いていました。16歳の時、探していた声質に近いという理由で、父のプロジェクトに参加しました。歌手になるつもりはなかったけど、一度きりという約束でSister Mとして歌いました。でも、ブースに入って歌ってみたら、夢見心地で気持ちがよかったんです」
 
音楽家として活動することの厳しさは、両親が一番知っている。
「教授は自分の娘だからという理由でわたしに歌わせたわけではありません。そんなに甘い人じゃない。歌手活動を続けようと決めた時“本当にやりたいのか?”と問われました。娘ではなく“才能があるかどうかわからない小娘”という感じで。今でも一音楽家として、すごく厳しい」
 
先日結婚したばかりの美雨さん。子どもができたらどう育てる?
「わたしが育てられたように、いろいろな人と一緒に育てたい。たくさんの人に会い、興味を持てば、早く自分のやりたいことや得意なことがわかると思う。友人知人と同じマンションに住むのが目標かな(笑)」

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坂本美雨

●歌手
●さかもと・みう/1980年東京都生まれ。坂本龍一「The Other Side Of LOVE」にSister Mとして参加。その後、8枚のアルバムを発表。最新作『Waving Flags』が発売中。『坂本美雨のディアフレンズ』(TOKYO FM/月曜〜木曜11時〜11時30分)が絶賛放送中。

photo/
Katsumi Omori, Patrick Tsai, Shota Matsumoto, Tomo Ishiwatari, Takehiro Goto
text/
Keiko Kamijo, Asuka Ochi, Toshiya Muraoka, Sawako Akune

本記事は雑誌BRUTUS778号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は778号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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親と子(2014.05.15発行)

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