エンターテインメント

この見事な虫の皮骨感、身近な虫で言うと…。

滝本誠のCAFÉ NOIR

No. 775(2014.04.01発行)
東京で見る、買う、食べる、101のこと。

 思わず見惚れ、繊細な手触りに、これはやはり〈紙の本〉じゃないと味わえない恍惚境だなと思わせる書籍が今年に入って刊行されました。フランツ・カフカの代表作『変身』のスーザン・バーノフスキーによる新しい英訳書で、ブック・デザイン担当はKeenanとなっています。
 わが国の出版状況では、コスト面からいって可とならず不可の判断がなされることの多いエンボス(浮き出し)加工が絶妙のバランスで表紙全体に広がっています。しかも黒はテカテカした特色を使用し、虫の艶っぽい皮骨感を表現しています。身近な虫でいえばゴキブリのテラテラとした……。
 海外書籍でエンボス加工そのものは、タイトル、著者名などアルファベット文字を浮き上がらせたりして珍しくはないのですが、今回のカフカのように昆虫の多足を擬態した装飾活字、装飾文様は見たことがありません。掲載した図像は小さいのでわかりづらいかも知れませんが、『変身』の英語タイトル=THE METAMORPHOSISのMが頭部、Tが胸部、Oが腹部、Hが下腹部、そして最後尾にI、といったようにデザインの中心線に存在する文字はみごとなまでに左右対称です。アルファベットの利点が十二分に生かされています、としてもここまで上手く配置したのはデザイナーの天才芸といえるのではないでしょうか。尾骨&後ろ足担当のSISあたりが実に心憎い。
 しかも、これらの文字が浮かぶ地の色が、くすみが入った肌色という点に留意したいですね。カフカの最高作『流刑地にて』の囚人の背中の肌に印刷機械がぎりぎりと彫り込んでいく判決文の美しい文様、あるいはその進化形を連想させるからです。
 序文が映画監督デイヴィッド・クローネンバーグで、彼の名前で購入した映画ファンとか多いかと思われます。クローネンバーグの序文はこう始まります。
「ある朝、目覚めるとわたしは自分が七十歳の老人であることを発見した」。クローネンバーグには蝿男話(『ザ・フライ』)、タイプライターとゴキブリのハイブリッド肉体(『裸のランチ』)とか、寄稿するのにふさわしいキャリアをもっています。「七十」のかわりに「六十五」とすれば、小生の変身です。

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たきもと・まこと/『キネマ旬報』に「セルロイドの画集」連載中。私家版雑誌〈Edition NOIR no.2〉制作中。

本記事は雑誌BRUTUS775号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は775号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.775
東京で見る、買う、食べる、101のこと。(2014.04.01発行)

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