エンターテインメント

現実とフィクションの間の、あるようなないような境界について。

BRUTUSCOPE

No. 775(2014.04.01発行)
東京で見る、買う、食べる、101のこと。

戦慄の『アクト・オブ・キリング』、驚きの『フルートベール駅で』公開。

 かつての殺人を加害者がカメラの前で再現する。そんなおぞましい光景を見せつけられるのが、1960年代インドネシアで暴虐を行った張本人に取材するドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』だ。100万人規模といわれる大虐殺に関与しながら、今や英雄視されて暮らす彼らは、当時の様子を事細かに話し(例えば「針金をこうやって首に巻き付けてさ」とか)、しかも誇らしげに演じてみせる。鬼畜だわ。これ、もうゲスの極みだわ。そんな観る側の思いと似たところから、ジョシュア・オッペンハイマー監督も作品作りを始めながら、最終的に辿り着くのは、彼らも我々と同じ人間だというある意味ショッキングな事実だ。
 しかしなぜ、そんな酷いことができるのか? それは彼らが、そして我々が、日々を演じながら生きているからだ。学校の「俺」とか、職場の「私」とか、ほら、ツイッターなんていうのはみんな何かのキャラを演じているわけじゃん? ツイッター上なら見知らぬ誰かを罵ったり、平気で断罪できたりするのとまったく同じ根っこで、実はインドネシアの虐殺者たちもつながっている。彼らはカメラの前で殺人を演じるのと同様の感覚で、実際の殺戮に手を下していた。演じていれば何でもできてしまうのだ、案外、人間は。
 現実と演技=フィクションの境界について、はたと考えさせられるのは『フルートベール駅で』も同じだ。2009年元旦、サンフランシスコのフルートベール駅で実際に起きた悲劇を映画化するこの作品は、ある現実の映像を挿入することで、かつて観たことがない類いの感動的な瞬間を演出する。このように現実とフィクションの間の、あるようなないような垣根を行き来しながら、映画はちょっとずつ前へ進むのか。

©2013 OG Project, LLC. All Rights Reserved.

事実は小説より奇なりと言いますが。現実が虚構に、虚構が現実に作用する2作品。

『フルートベール駅で』

監督:ライアン・クルーガー/出演:マイケル・B・ジョーダン/3歳の娘を残し、無抵抗なまま警官に射殺された黒人青年の最後の時間。抗議集会が開かれるなど、全米で大きな反響を呼んだ事件を、弱冠27歳の監督が映画化した。新宿武蔵野館ほかで全国公開中。

©Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

『アクト・オブ・キリング』

監督:ジョシュア・オッペンハイマー/もともと虐殺の被害者を取材していたオッペンハイマーは、過去を嬉々として語る加害者を見て、彼らに提案した。「カメラの前で演じてみませんか?」。衝撃作。4月12日、シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。

エンターテインメントカテゴリの記事をもっと読む
text/
Yusuke Monma

本記事は雑誌BRUTUS775号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は775号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.775
東京で見る、買う、食べる、101のこと。(2014.04.01発行)

関連記事