人生仕事

雪山から帰ったら、気持ちと態度がデカくなりました。|三浦雄一郎

TOKYO80s

No. 769(2013.12.16発行)
この本があれば、人生だいたい大丈夫。
PHOTO / SHINGO WAKAGI

三浦雄一郎(第一回/全四回)

 生まれは青森県青森市で父親・敬三は当時営林署という山の役人をやってました。冬の八甲田に入ってはスキーと写真に熱中して、当時の山、スキーを好きな人たちに「八甲田の主」と全国的に知られていた。僕も3歳くらいから八甲田に連れていかれて、スキーを始めました。青森はちょうど『おしん』の頃で、冬になれば除雪も何もなしですから、馬が橇をひいて首の鈴をシャンシャン鳴らしながら家の前を通っていく、そんな時代です。スキーに熱中して小学校へ入って。青森の小学校ですけど、すぐ弘前に引っ越してそれから仙台へ。そこで付属小学校に入れられて、それまで勉強した記憶の一切ないのが、この学校じゃ皆勉強してるんですよ(笑)。当然落ちこぼれて登校拒否状態になって。病気になれば学校行かなくて済む、熱出ろ 熱出ろ と言ってるうちに本当に熱が出て結局入院しました。小4の頃で結核の疑いがあると学校へは半分も行かなかった。内向的でね。田舎の小さな学校ではお山の大将で遊んでましたけどね。都会のエリート学校では木に登ろうが何しようが尊敬もされない、馬鹿にされるだけ(笑)。小5の時、熱出して入院して、いよいよ冬休みって時に、親父が病気治ったら蔵王へ連れていくってね。それ聞いた途端に熱下がって(笑)。それで蔵王へ。東北大学山岳部の冬の合宿で、そこに4年の時から参加してたんですが、5年の時にはかなりスキーも上手になってました。当時のスキー場って、ただ山があるだけで仙台から山形駅まで行ったらあと全部歩いてね。スキーから食料から全部担いで、今でいう、山岳スキー、登山スキーです。吹雪の中これやって学校帰ってみたら、学校がね、すごく小さく見えるわけですよ。こんなところで俺は何クヨクヨしてるんだろうって。相変わらず勉強はできなかったけど、それ以来、気持ちと態度がデカくなりました(笑)。それから岩手東京と引っ越して、また青森戻って弘前高校、ここで3年間を過ごしました。3年間とも青森県の代表で、冬はスキーで高校大会だ、国体だの生活でした。夏休みは津軽半島へ一人ぼっちで入って。地図を見たら日本海をずっと北上すると、竜飛岬だと。じゃあそこまで歩いて行こうと、野宿しながら竜飛岬まで、海へ潜っては洞穴で寝たり。サバイバルですが、やってみたら気に入ってね、すごく面白い世界があるんだって感じたんです。(続く)

三浦雄一郎
みうら・ゆういちろう/プロスキーヤー、登山家。2013年、3度目のエベレスト登頂成功。

第1回第2回第3回第4回

photo/
SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA

本記事は雑誌BRUTUS769号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は769号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

No.769
この本があれば、人生だいたい大丈夫。(2013.12.16発行)

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