人生仕事

「吹かしてください!」ってセッションの中へ飛び込んだんです。|渡辺貞夫

TOKYO80s

No. 766(2013.11.01発行)
ラブソング
PHOTO / SHINGO WAKAGI

渡辺貞夫(第二回/全四回)

 学校では毎日放課後に講堂で、センチメンタル・ジャーニーだったり、アメリカの流行曲なんかを練習してました。当時はダンスホールが流行っていて、宇都宮の街の中に3〜4軒ダンスホールがあったかな。そこへ僕はウィークエンドに楽器持っていってね、2、3ヵ月もしないうちにメンバーになって。吹けないんですけど、あの、見た目だけね。ステージの上の見栄えのために(笑)。16の時に18歳とごまかして進駐軍のクラブで演奏するためのライセンスのオーディションを受けました。その許可証があると進駐軍のベースやキャンプで仕事ができるんですが、許可証にはレーティングがあるんです。一晩の演奏の料金が、スペシャルAが一晩2500円ぐらい。ドラマーのジョージ川口さんとか、そういう人たちですね。本当はDまでしかランクがないんだけど、あまりにも下手で僕はEだった(笑)。それで一晩300円もらえました。親父には、とにかく20歳まで好きなことをさせてくれと。ダメだったら帰ってきて電機屋さんになるからということで高校卒業して2週間で上京しました。銀座の松坂屋の地下にオアシスというダンスホールがあったんですが、そこで昼間演奏して、夜は銀座のキャバレー、それから、キャンプの仕事もいっぱいしました。今のミッドタウンの場所に、米軍キャンプがあって、そこで仕事があった時、タクシー代を払うのがもったいないので住んでいた三宿まで歩いて帰っていたんです。渋谷の道玄坂を上ったところに、米軍に接収されていたフォリナースというクラブがありまして、毎晩ジャムセッションがあったんです。それこそ松本英彦さんとか、日本のトップの人たちがジャズをやっていて、ガラス越しに聴けるわけですよ。毎日、聴いたばかりのそのフレーズを歌いながら三宿の下宿に帰っていたんですが、ある日我慢できなくなって中へ飛び込んだ(笑)。「吹かしてください」って。そうしたら、みんなに歓迎してもらえて、東京中の素晴らしい若手プレーヤーが、みんな友達になったんです。「バンド作るからお前サックス吹くか?」って言われて、「吹きます」って。それでサックスを担当するようになったんです。実は上京する時には、やっぱり映画の影響で“金色の曲がった楽器”が格好いいんで、さんざん親父のお金くすねたりしてまして(笑)、サックスは持っていたんです。(続く)

渡辺貞夫
わたなべ・さだお/1933年生まれ。ジャズの枠にとどまらない独自の音楽世界を奏でる。

photo/
SHINGO WAKAGI
text/
KUNICHI NOMURA

本記事は雑誌BRUTUS766号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は766号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

No.766
ラブソング(2013.11.01発行)

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