“型”をつくること、後世に伝えること。 それが企業としての使命だと考えています┃重松 理 ユナイテッドアローズ名誉会長

装いが道を拓く。経営者に教わる、スーツスタイル。

BRUTUS特別編集(2019.09.02発行)
BUSINESS BRUTUS

日本に今のスーツスタイルを広めた立役者の名を挙げるとするならば、セレクトショップの存在は欠かせない。現在、ユナイテッドアローズの名誉会長を務める重松理さんは、1976年のビームス設立に携わり1号店の店長を任された人物だ。ビームスで研鑽を積み、89年に独立。そうして自ら立ち上げたのがユナイテッドアローズだ。
 当初セレクトショップとは、さまざまな輸入品だけを取り扱うものだった。それがいつの頃からか、プライベートブランド等のオリジナル商品を手がけるようになる。今では一般的なことだが、そのきっかけを重松さんに聞いた。
「我々が当初やってきたビジネスはいわば紹介業で、海外にはこんなにいいものがありますよと。それを日本で紹介してきた。しかし、輸入物では安定供給できません。大量発注に対応できない、納期が遅れる、利益も安定しないといった課題を抱えていた。そこで海外製品と同じようなものを日本国内で生産して販売するという動きが現れ始めたんです」
 当時はまだビームスに在籍していた重松さんもすぐにそのアイデアを取り入れ、1978年にはドレスブランドであるビームスFを立ち上げた。そして、ビジネスマンにとって百貨店で購入するのが一般的だったスーツを、身近なものへと変えていった。
「その頃からスーツもジャケットも、輸入物と国内製品を併せて売るようになりました。日本でこれだけ多くのスーツスタイルを提案し、普及させたのは、競合他社も含めセレクトショップの功績と言っていいと思います」
 自らもバイヤーとして渡航した際、スーツやジャケットの価値を再認識する場面もあった。
「我々も当初はカジュアルウェアで買い付けに出向いていました。しかし、相手はビジネスマンですからもちろんスーツを着ているわけです。しばらく経って、ジャケットを着ていくようになると少し待遇が違った。ネクタイをしていくともっと変わった。タイドアップして、ジャケットを着るという行為はビジネスのシーンにおいては不可欠で、それをやるだけで非常に高い信頼感を得られることがわかりました。自分に投資をすれば、それだけの効果はあると肌で感じたわけです。それからは店頭でお客様に、スーツも単につるしを選ぶのではなく、少し個性を加えることで、営業職であれば相手に印象づけることもできますし、自分の価値を高めることができますよと、お話ししたりするようになりました」

社会の中で価値を創造して、 株式上場で評価される意義。

ユナイテッドアローズ創業から10年後、1999年に株式を店頭公開。2003年には東証1部上場を果たす。セレクトショップ業態はもとより、ファッション業界においても異例の舵取りといえる。
「当時のファッション業界というのは、どこか反体制派というか、社会の枠組みからドロップアウトしたようなものと捉えられがちで。ただ、経営を進めていく中で、逆に社会という枠組みの中にドロップインしたいというか、その中で価値を創造して認められる存在になりたかった。それが株式を上場させた理由の一つです。株主の厳しい目にさらされて、市場に評価されたうえで、この企業は存続する価値があると認められる、そういったステータスを築いていく必要があると思ったのです」
 15店舗、売上高100億円という一つの目標を達成した頃に店頭公開した。
「当時は私の直下に店長がいる組織体制で、直接的にお客様の声が届きやすい環境でした。100億くらいまでであれば、なんとか一人で見られるだろうと。ただ、それを超えるタイミングが来たら次のステップへ行こうとも考えていました」
 組織形態、社員の教育体制などを見直し、それに呼応するように新ブランドの立ち上げや業態の多様化が始まった。
「実は拡大路線をとるつもりはありませんでしたし、最初はユナイテッドアローズという一業態だけでやろうと考えていました。ただお客様などからいろんな声が聞こえてくる。であれば、いつもと少し違ったものも見ていただきたいなと。業態を増やすことは株主にも賛同を得られたので、ちょうどタイミングが良かった」
 2004年にはいったん社長を退き会長に就任。しかしリーマン・ショックの影響などによる業績低迷を受け09年に社長に復帰し、立て直しを図る。12年には現在の竹田光広社長へと引き継ぎ会長職へ。14年には取締役を退任し、現在は名誉会長となっている。カリスマ経営者が退いたのち衰退する企業は枚挙に暇がないが、ユナイテッドアローズにあってはこの数年間の業績は右肩上がりで推移。今や手がけるブランドは17を数え、全国の店舗数は237に及ぶ(19年3月末現在)。19年3月期の売上高は1589億円(連結)で2期連続の増収増益を達成している。

スーツスタイルには、 普遍的なセオリーがある。

重松さんは今年古希を迎える。取締役から退任した今、個人事業として新たな挑戦を始めた。2016年に順理庵という新ブランドをプロデュース。国内生産にこだわった衣料品や反物、漆製品などを取り扱う。この日着ていたスーツも、和装用の米沢織を使った順理庵のオリジナル。スタイルは
17〜18歳の頃から憧れ続けてきたサンローランへのオマージュという。さらに新たな分野にも挑む。
「実はユナイテッドアローズを立ち上げたときに最もライフスタイルを表現できるのはホテルだと思っていました。ホテルもやりたい、住宅もやりたいとずっと考えていたのですが、衣料品で手いっぱいでやれなかった。だから今それを実現しようと京都の東山に4部屋の小さなホテルの建設を計画していて、設計がほぼ出来上がっています。中は数寄屋造りで床の間があって、日本の文化を感じられる居心地のいい空間を提供したいと思っています」
 2021年の春にはオープン予定という。順理庵に続いて和に関するライフスタイルの提案の幅を確実に広げている。
「そもそも順理庵は和の“型”を正しく伝えたいという思いから始めたものです。これまでユナイテッドアローズでは、洋の“型”をいろんな形で紹介してきた。和を取り扱わなかったわけではありませんが、あくまで一時的なものであったり付加的なもので、メインではありませんでした。日本の文化にある根っこの部分を正しく紹介して、将来へ残していこうというのが狙いなんです」
 ある歌舞伎役者の言葉に“型があるから型破り、型がなければ形無し”というものがあるが、型を知ってこそ初めて型破りなことができる。昨今の働き方改革やクールビズなどといった言葉から想像されるビジネスシーンでのスタイルの変化についてはどのように感じているのか。
「社会の潮流というものには逆らえないし曲げてはいけない。それはそれで素直に受け止めるべきものだと考えています。我々なりに吸収して、ウチナイズして表現していく。ただし、しっかりとしたスーツスタイル、型というものは、日本人にとっての着物と同じですが、決してなくしちゃいけないものです。スーツスタイルには、男物の普遍的なセオリーのようなものがある。それは後世に絶対に伝えていかなければならない。ジーンズの上にジャケットを羽織ればいいというものではなく、正装のときはこう、ビジネスでの会食のときはこう、初めて彼女の両親に挨拶に行くときはこう、やっぱり型を作ってあげて伝えていかないとだめだと思うんです。日本人が洋服を着るようになってまだ150年くらいしか経っていないわけで、変な形で日本に定着してしまうことはとても不本意ですね。ビジネスとしてはもっと儲かることだけやった方が効率的だと言われるかもしれませんが、そもそもユナイテッドアローズも、順理庵も、日本の一つのスタンダードを作り上げるという志を持って創業したものです。型を作ることに全神経を集中して追求していく、それが企業としての使命だと考えています」

〈オプティシアン ロイド〉のセルフレームの眼鏡を愛用。1985年原宿で創業した専門店で、UA本店に近いこともあり、20年以上の付き合い。

ネクタイは京丹後の絡み織。洋装の中に和の伝統を取り入れる。シャツも立体感のある格子の地模様が美しい。シンプルな中にこだわりを主張。

「スーツにおける数少ないアクセサリーの一つ」と語るベルトは〈クロムハーツ〉の特注。隠れた部分に、服飾を極めた人の遊びが垣間見える。

光沢と紬織りが特徴的なスーツ地は、山形県の伝統的な絹織物「米沢紬」。和装の生地で仕立てる〈順理庵〉の一着。シューズはオーストリッチ。

profile

しげまつ・おさむ/1949年神奈川県生まれ。明治学院大学卒業。76年ビームスの設立に携わり、82年常務取締役に就任。89年ビームス退社、同年10月、ワールドと合弁でユナイテッドアローズを創業、代表取締役社長に就任。2012年、代表取締役会長を経て、14年より名誉会長。同年、公益財団法人・日本服飾文化振興財団を設立し代表理事を務める。

photo/Koh Akazawa text/Taichi Fujino, Akiko Inamo edit/Naoko Sasaki/

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