港区三田の一角にある坂道の途中。40㎡ほどの敷地に、地下1階、地上4階の鉄筋コンクリートビルが立っている。着工は2005年、そして2024年10月末にようやく完成した。設計はもちろん施工もすべて、建築家の岡啓輔さん自身が行ったというセルフビルドの建物だ。

不揃いなコンクリートをつぎはぎしたような造形に、通りすがる人々はみな「なんだこれは!?」と圧倒される。クールな高層ビルを背景にした姿の、この揺るぎない存在感はどうだ。海外でも話題になっている〈蟻鱒鳶ル〉を訪ねたのは、以前からずっと気になっていたという漫画家の江口寿史さん。
建築も漫画も、すべてをコントロールできないから面白い
江口寿史
うわ、想像以上にすごい。“すばらしい異様”ですね。存在は知っていたんですけど、20年も前から作り続けていたんだ……。ご自分で建てたっていうのは、設計だけじゃなくて、大工的な仕事も含めてということですか?
岡啓輔
そうなんです。地下の穴掘りから始まって、コンクリートを成形する型枠を作るのも、その中に鉄筋を組むのも僕。コンクリートも、ホームセンターでセメントを買ってきて、水と砂利と砂を加えて現場で練って、人力で型枠に流し込んで、という完全な自作です。
江口
ということは、この建物の全貌も最初から頭の中にあった?
岡
おおまかな絵を描いて、建物として成り立つかどうかという構造計算はプロに依頼しました。でも、窓がどこにどう付くとか、内装がどうとかっていう細かいことは、作りながら考えます。
そもそも、普通のビルとは作り方が違うんです。高さ70cmという、人力で扱えるサイズの型枠を作って、それを1段ずつ下から打設しています。
江口
最初に外枠を作るんじゃなくて、地階から順に、下から上へ?
岡
そうです。数段作っては「もっといい方法があったかも」と反省したり新しいアイデアを加味したりして、最終的にどうなるかは自分でもわからないままでした。
江口
そうすると、例えば強度とかは……。
岡
いろんな専門家が見に来てくれましたが、この作り方なら大丈夫、と。コンクリート自体も200年、300年もつと言われています。実は一般的なものよりはるかに固く作ってあるんです。
岡さんが建築を学び始めたのは10代のころ。その後、土工職人から鳶職人、鉄筋工に型枠大工、住宅の大工まで……ありとあらゆる経験を積み、専門技術を身につけた。コンクリートの建築というと、水平垂直の四角いすっきりした造形を想い浮かべる人も多いだろうけれど、岡さんによれば、実はこの自由すぎる造形こそが、コンクリート建築の真骨頂。「型枠の形や、流し込む時の細工によって、現場で自由な形を生み出せる」という特性を生かしたものだ。
江口
すげーカッコいいなあ。しかも、ここに住むんですよね。
岡
はい、2階以上が自宅で1階はいずれ店舗にする予定です。ただ、これから1年間は曳家工事が始まるので中に入れないんですよ。三田の都市再開発の影響で、道路を拡張するために10mほど斜め後ろへセットバックしなくちゃならなくて。
江口
えっ、そうなんですか。曳家っていうのは具体的には?
岡
建物の周囲20×20mの範囲を地下6mくらい掘って、鉄のレールを敷いて油圧で建物ごと動かすらしいですよ。でも、近隣では「子どもたちを集めて紐で引っぱらせてほしい」っていう声もあるようで。
江口
紐でひっぱる?人力で?
岡
はい。東京の町中だと実際には難しいだろうけれど、重さ120~130トンくらいなので不可能ではないんです。青森の弘前城でも、400トン近くある天守を綱引きみたいに人力で引っ張って移動させてるんですよ。

——と、なんだかスケールの大きな話をしながら建物内へ。江口さんが見上げている天井には、なにやら古代遺跡のような模様が……。

江口
岡さん、これは?
岡
友達が山形の小国峠からやまぶどうの蔓をワシャーッと持ってきてくれたんで、それをぐるぐる巻きにしたものを型枠に置いて、コンクリートを流し込んだんです。小さい子供が見たら泣き叫ぶような怖い天井にしようと思ったんですよね。
江口
(笑)。じゃあこっちの、つるつるの大理石みたいな質感になっている天井は?
岡
これは型枠に秘密があります。普通の型枠はコンパネ(コンクリートパネル)という、ベニヤに防腐剤を浸み込ませたもので作るんです。ただ、僕は長年型枠職人を続けた結果、化学物質過敏症になってしまって。どうしようって考えた末に、「型枠自体をビニールで巻いてガードする」という策を思いついた。型枠の上に薄さ0.1mmの農業用ビニールシートを巻いてから、コンクリートを流し込んでいます。

江口
このツヤツヤとか、ギュッとシワになっているのはビニールの跡なんですね、面白いな。そういうのって完全にコントロールできるものなんですか?
岡
コントロールはできてないですね。盆栽とか陶芸とかの感じに近いです。予想してなかった方向に行くのが面白かったりする。
江口
あ、わかります。僕も最初に考えていたストーリーからどんどん外れていくことが多い。特にマンガだと、僕はだいたいラストの展開はあえて決めずに残しておくんです。描いている途中でアイデアが変わることもあるし、最後までカッチリ決めすぎると、ただそれをなぞるだけになってしまって、つまらないから。
岡
頭でぐるぐる考えて作るのもいいけど、その場の勢いや偶然でものが生まれるのは楽しいですよね。そうやって作ったものは、人工物と思えない感じがする。いや、人工物でしかないんですけど、たぶん、それだけじゃないんです。
たくさんの人の手を借りて作った「即興的建築」とは?
江口
20年かかるというのは、最初から想定していたんですか?
岡
最初は3年くらいで完成かなと思っていて。でも、とんでもなかった。地下を掘るための見積もりを出してもらったら、4トントラック100杯分の土が出るって言われて気が遠くなりました。しかも、どの業者も素人の僕とは付き合ってくれませんでした。だけど、動かなきゃ始まらない。僕がスコップで掘り始めたら誰かが助けてくれるだろう、と。そしたら本当に「バイトの合間だったら手伝いに行けるよ」と言ってくれる人たちが現れて。スコップで1時間カシャカシャ掘ってくれるだけでも確実に進みますから、すごくありがたかった。今振り返ると、この時の作業が一番楽しかったかも(笑)。
〈蟻鱒鳶ル〉は岡さんのセルフビルドである。が、さまざまな友人知人に手伝ってもらい、即興で作り上げた部分も多く、そのことが建物の大きな個性にもなっている。玄関のドアや窓枠を鉄で作ったのは、「知り合いの大工。鉄の溶接もそんなに得意ではないけれど、窓を素人作業でどう造れるか考えてくれたすごい友人」や「ものを作ること自体を研究している哲学者のような知人」たち。学生やアルバイトの若者たちは、地面を掘ったりコンクリートの打設を手伝ったりしてくれた。

岡
江口さんのところはスタッフがいっぱいいるんですか?
江口
僕、ひとりですよ。でも個展のライブドローイングで縦横2mとかの大きい絵を描く時は、お客さんに少しずつ塗ってもらったりもしています。僕が描いてるだけだとお客さんも退屈するだろうし、輪郭の中を塗るだけなら誰でもできるから。一度やってみたら、みんなが喜んで次々に参加してくれて、僕も楽しくなっちゃった。以来、ライブドローイングでは時々そうしてるんです。
岡
即興はたのしいですよね。江口さんは、今までに建築に関わったことはありますか?
江口
僕、地元が九州なんですけど、昔の大人って自分の家の小屋くらいは作ってたじゃないですか。その手伝いはよくしていました。素人設計というか、無計画な感じが楽しかったな。
岡
ものを作ることの原点ですよね。子供の時に作った秘密基地みたいな。
江口
それそれ!このビルのことも秘密基地みたいだなって思ってた!こんなに規格外でちょっと呆れるほどプリミティブなことを、このスケールでやるっていうのがすばらしいです。でも岡さんはきっと、〈蟻鱒鳶ル〉が一段落したら、また何か作るんですよね。
岡
やっぱりコンクリートに思い入れがあるので、例えばコンクリートの祭りみたいなことを立ち上げられたらいいな、と考え中です。あとは、もっと建築を作ることが流行ればいいのに、って真剣に思ってますね。
江口
がんばってほしいな、見守っています。曳家が終わったらまた遊びに来ますね。
